From KSRG ✯「 神の言葉 [聖書] は とこしえに残る 」−(37)
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⬜ まず 今回の本題に入る前に、┄ 今 ヨハネの黙示録 11章 を考えているところですが、
このことは、これまでにも 何度も述べてきた事なのですが、
ヨハネの黙示録は 奥義 です。
それで、
特に 今 考えている 11章 は、詩編、ダニエル書、ゼカリヤ書、ハガイ書、そして イエスが語られた預言的な例え、
そして、 パウロの手紙 などを同時に考察していかないと、
ヨハネの黙示録 だけで 意味を掴もうとしても、それは無理な話です。
現在 iza2464さんが、ダニエル書 11・12 章、そして イエスが語られた預言的な例え を解説して下さっていますが。
今後は、このヨハネの黙示録 11章を考察して行くにあたり、
そのようにして行くと、最後にパズルのピースが合わさるように、全てが繫がります。
それで、これは 以前にも述べた事ですが、両方の情報から個人研究して頂けたらと思います。
それでは、
早速 ヨハネの黙示録 11章 8 −10節 を口語訳から見てみましょう。
次のように書かれてあります。
⇩
「 彼らの死体はソドムや、エジプトにたとえられている大いなる都の大通りにさらされる。
彼らの主も、この都で十字架につけられたのである。
いろいろな民族、部族、国語、国民に属する人々が、三日半の間、彼らの死体をながめるが、その死体を墓に納めることは許さない。地に住む人々は、彼らのことで喜び楽しみ、互いに贈り物をしあう。
このふたりの預言者は、地に住む者たちを悩ましたからである。」
ここを見ると、二人の証人が 霊的に殺され、その間は 彼らは何も活動していない、また 活動出来ない状態であるかのように、受け取れます。
そして 11節を見ると、
(口語訳)
「 三日半の後、いのちの息が、神から出て彼らの中にはいり、そして、彼らが立ち上がったので、それを見た人々は非常な恐怖に襲われた。」
と続いているわけです。
併せて、(新共同訳)の同じ部分を見てみますと、
8−10「 彼らの死体は、たとえてソドムとか エジプトとか呼ばれる大きな都の大通りに取り残される。
この二人の証人の主も、その都で十字架につけられたのである。
さまざまの民族、種族、言葉の違う民、国民に属する人々は、三日半の間、彼らの死体を眺め、それを墓に葬ることは許さないであろう。
地上の人々は、彼らのことで 大いに喜び、贈り物をやり取りするであろう。···· 」
やはり こちらの訳を見ても、二人の証人は活動していない、活動出来ない と 取れるような訳になっていると思います。
では、この “ 三日半 ” という期間は、やはり 二人の証人が何も活動出来ない期間を指しているのでしょうか。
先ほども、言いましたが、ヨハネの黙示録は奥義なのです。
ここも 本来なら、古代ギリシャ語(コイネー)で解説したいところなのですが、
できる限り皆様がお持ちの聖書から解説していきたいと言う事で、
現在 入手できる日本語の聖書として、
口語訳聖書、新共同訳聖書、新改訳聖書 2017年版、を用いて解説させて頂いています。
それで、
興味深いことに、新改訳聖書 2017年版 の、ヨハネの黙示録 11章 11節には、
次のように訳されています。
(新改訳2017)
「 しかし、三日半の後、いのちの息が神から出て 二人のうちに入り、彼らは自分たちの足で立った。見ていた者たちは 大きな恐怖に襲われた。 」
お気付きになられたでしょうか。
先ほどの、口語訳と新共同訳には無かった ワードが ここには、記されていると思います。
それは、
“しかし” と “彼らは自分たちの足で立った” です。
“しかし”
“彼らは自分たちの足で立った”
です。
では、次回 二人の証人が、この 三日半 と言う期間内、決して無活動の状態ではないこと、
むしろ、その逆である、
と言う事について、解説していきたいと思います。
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