From KSRG ✯【 福音宣教者の業をウェブ上で行う方法 】

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■この記事の内容は 2022年 9月15日に更新しました《 本日のバイブルメッセージ 》(9)の [ 最新版 ] になります。

 

□ 今回の内容に入っていく前に、

先日のお知らせについて少し触れさせて頂きます。

 

 

きっと、皆様も、先回のお知らせの 内容を受け、ご自身に出来る事柄に励んで居られることと思います。

 

 

あいにく、当ブログと、iza2464さんのブログに関しては、その後も 悪魔の妨害に遭っている状況に変化はありません。

 

 

ですが、ヤハウェが 今の この時期に、このような状況を許されていることには、必ず意味があると考えております。

 

 

そのことが 理解出来るまでには、 もう少し忍耐しつつ 待つ必要があるかも知れません。

 

 

ただ、ヤハウェは全知  全能の神です。

 

 

どのような悪魔からの攻撃や妨害も、

我々 関係するすべての者 にとって 良い物を生み出す 機会とすることがお出来になります。

 

試練によって 関係者すべてに最善の結果をもたらすと言うことです。

 

ヤハウェがこの度、どのように物事を進めようとしておられるのか、

我々は、直接 経験させて頂き 目撃出来るという特権にあずかることが出来ます。

 

繰り返しますが、

ヤハウェが、このような状況を許しておられるということには、

 

全ての選別者にとっても大きな益があるはずです。

 

 

おそらく、14万4千人級の皆さまの中から、その事に気付き、(改めて霊的に目覚め)

聖霊からの指示を受け、一層 活動的になる方々が出てくることでしょう。

 

 

引き続き、互いに、ヤハウェに信頼を置きつつ、前進して参りましょう。

 

イザヤ書 30章 15節(新改訳2017年版)
イスラエルの聖なる方、神である主は こう言われた。
『 立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る。』····」

 

 

さて、

依然として 当ブログとiza2464さんのブログの状況は、改善されてはおらず、先回 お話した通りです。

読者の皆さまには、引き続き、ご理解とご協力をお願いするものですが、

 

そのような中にあっても、14万4千人級のみなさまが、今後も、積極的に行っていく必要のある。

 

メッセンジャーとしての務めについて、

 

本来この記事は、先回 上げた「お知らせ」よりも前に 更新の予定で作成していたものですが、先回、急きょ 差し替えさせて頂きました。

 

 

ただ、この記事 だけでも、どうにか 皆さまにお届け出来ないものかと 思案し、更新する運びとなりました。

 

ですので、

この記事の更新後については、今の段階では、目処が立っておらず、 はっきりとしたことを 申し上げる事が出来ません。

その事をご理解いただいた上で、今回の内容をお読み下さればと思います。

 

 

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□まず、本論に入る前に、新共同訳聖書 テモテへの手紙(二)4章 2― 5節 を見てみましょう。

 
「  御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても 悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。
だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。」

 

今、まさに この聖句に書かれてあるように、多くの人々が  “ 健全な教え”  つまり、聖書の正確な知識を聞くことから離れています。

 

むしろ、 自分にとって 都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行っている状態にあります。

 

 

そのような 今だからこそ、ヤハウェからの聖書の正確な知識を宣べ伝え、福音宣教者の業に励むことは必須となっています。

 

もちろん、それが出来る方は と言う事ですが。

 

 

では、具体的に、どのように行なうことが出来るのかについて考えて行きましょう。

 

今回の記事は、内容的には、《本日のバイブルメッセージ》(9)と変わってはおりませんが、今の時期に合わせて 最新版と言う事で、改めて お伝え出来ればと思い 書かせて頂きました。

 

それで、

既に 聖霊からの明確な指示を受けて居られる方は、その指示に従って 時宜にかなったメッセージを発信して頂けたらと思います。

 

他方、まだ聖霊からの明確な指示を受けていないと思われる方々については、

 

 

例えば ですが、今の時期から言えば、今は、From KSRG の You Tube動画の内容よりも、当ブログ 及び、iza2464さんのブログの内容を 分かりやすくまとめて下さったり、( 全体をまとめなくても、一部でも良いです。)

 

または、そこから 励みを得られた点や、その記事を読まれて感じた個人的な感想など、( 短いコメントでもかまいません。)

 

さらに、ヤハウェ や、イエス・キリストへの感謝の気持ち、

また、将来の希望や報いに関して、黙想されるなら、色々な感情が溢れ出てくることでしょう。

 

それらを、まとめて書くことも出来るかも知れません。

 

記事を読まれて、励まされた点、個人的に努力しようと思われた事や、また、記事の内容に共感されたなど。

 

そのような内容でも良いと思います。

長い文章にする必要はありません。

形にとらわれずに、自由に行ってみて下さい。

 

 

大切なことは、

•  その内容が 積極的なもの。

  •  読まれる方々に励みや 霊的な力を与えるものであること。

•  ヤハウェを賛美することに繋がるものであるか。等。

 

記事を作成する際には、プレイヤーで 聖霊の 助けを求めて、そうした事柄を確かめつつ、まとめて行かれると良いと思います。

 

そして、記事を作成される際、

 

特に、前回の内容と異なる点は、どの記事を読まれて そのように感じたのかが 読者の方々に分かるような仕方で、記事の初めか 終りに URLを貼っていただけると助かります。

 

 

また、その記事をシェアして頂くだけでも大丈夫です。

つまり、個人的な意見などをまとめることが難しいと思われる方には、そのような内容やコメントは載せれなくても、 記事そのものを紹介して下さるだけでも構わないと言うことです。

 

また、記事に関連のある、ご自身の経験を紹介して頂く事もできます。

 

例えば ですが、記事の中で励まされていた事などを 日常生活で当てはめる努力をしてみた結果、ヤハウェからの 何かしらの祝福を経験したり、実感されたため、今後も更に継続して努力していく決意を抱くようになった、等々。

( 差し支えがなければ、具体的にどのような努力をされて、どのような結果を得られたかなどを書かれるなら 読者の方々の励みとなるかも知れません。

このことは、《本日のバイブルメッセージ》(9)でも お話しましたが、

 

これはあくまでも、差し仕えがなければ、と言うことです。

 

この点で特に注意を払う必要があるのは、

 

その 経験や、やり取りにご家族や他の人が関係している場合、それら、ご家族や関係者のプライバシーの問題があります。

ですので、他の人を励ますためとは言え、全て赤裸々に何でも話してしまうことは、避けるのが賢明なこともあります。

 

たとえ それが他の人を励ましたいという目的からとは言え、それら他の関係者が漏らして欲しくない内容を、漏らしている となれば、きっと ご家族や関係者は心穏やかでいられないでしょう。

 

大切な方々の信頼を損なうことに繋がりかねません。(ウェブ上ともなれば 尚更の事です。)

 

また、配信者自身が思っている以上にご家族にとって、家庭内でのことで他人に知られたくないことは少なくないかも知れません。

 

それらのことをよく考慮され、

ある部分に関しては、内容を伏せるなどの配慮が必要となるかも知れません。

 
( 関係する情報など、やり取りの内容をどのように書くかについて、ご家族や関係者は全て理解し、また、了承しているでしょうか。もしその点が不確かであれば、どれほど伝えたいと思っても敢えてその部分には触れない事が最善かも知れませんし、場合によっては、内容そのものを紹介することを差し控える方が賢明である時もあります。
関係する他の人の感情に配慮することは 愛を示す大切な機会となります。御霊の実について思い巡らせてみましょう。)
ガラテヤ人への手紙 5章 22節  
[ 御霊の実は、愛、喜び、平和(平安)、寛容、親切(慈愛)善意、誠実(忠実)、柔和、自制です。これらを否定する律法はない。]
(・ 口語訳・新改訳2017年版 )

 

マタイの福音書7章12節 の黄金律を、そのような時に 当てはめる事も出来るでしょう。
マタイの福音書 7章12節(口語訳)
「 ··· 何事でも 人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。」
(これが律法と預言者たちの意味するところである)という事ですが、
この聖句は、解説するまでもないかも知れませんが、誤解のないように 少し説明しますと、
つまり、この 
‘’自分が、人々からしてほしいと望むこと ‘’
(自分にして欲しいと思うこと)
というのは、文字通り自分から見た、つまり自分にとって して欲しい事 という意味ではありません。
※ 相手の状況や、要望、感情を考慮すると言うことです。
そうでなければ、自分の基準や好みで相手に 何かを行う事になり、結局は自分の好みを押し付けたり、自分中心に行動することになってしまうからです。
先ほどの聖句は、(別の何か、もっと重要な原則に反しない限り)、
自分の感情や好みよりも、相手の感情や、意向を優先させるという意味です。
※ 少しややこしい説明だったかも知れませんが、ご理解頂けたでしょうか。

 

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その他の注意点としては、本日のバイブルメッセージ(9)をご参考になさってみて下さい。

 

 

今回の記事の内容は以上となりますが、

 

現在、ヨハネの黙示録 11章

で言う、三日半という 特別な期間に突入しています。

 

iza2464さんのブログでも言及されていましたが、

 

もし、ご自身で ウェブという方法で、福音宣教者の業を行うのが、難しいと思われる方々や、または、今はご自分の状況が許されないと思われる方々も、

収穫の主 である、ヤハウェに、働き手を送り出して下さい。というプレイヤーを行うことで、

この同じ業に貢献することができます。

 

 

そのようにプレイヤーをする事は、御霊の実の どの特質を表す機会となるでしょうか、····

そうする事が、ヤハウェに喜んで頂けると言える理由について、思い巡らせてみましょう。

 

どんな 些細と思える事柄でも、ご自身が行える事で、これを行えばヤハウェが喜んで下さると感じたなら、躊躇せず、行って下さい。

 

 

そのようにされるなら、ヤハウェ聖霊によって、さらに皆さまを動かして下さり、祝福で満たされることでしょう。

 

 

以上となります。

お読み頂き感謝致します。

 

 

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