From KSRG ✯「 神の言葉 [聖書]は とこしえに残る 」−(26)

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《 神の言葉 [聖書] は とこしえに残る 》−(26)

 

 

⬜ ここまで 群れの監督者 について、話せる範囲でお伝えしてまいりましたが、

 

 

群れの監督者 については、ひとまず、一旦 ここで休止させて頂き、

また後日 ふさわしい時に、No.10  として、再開 出来たらと思います。

 

 

それで 今回からは、時期的なことも考慮し、

 

預言の解釈を行なっていきたいと思います。

 

 

そして 預言の解釈については、iza2464様のブログからも、並行して、記事を書いて下さっていますので、

 

そちらの記事も 是非 合わせて個人研究して下されば と思います。

 

と言うのも、恐らく 片方の情報だけでは、十分に意味を理解することができないものと思います。

 

 

 

それでは、早速  今回は、

ヨハネの黙示録 10章 4節   から 解説していきます。

 

    ·  ·  ·  ·  

 

まず、

ヨハネは幻の中で強力な み使いを見ます。(1節)

そして このみ使いの背後から、7つの雷の声がします。

                 

          ⇩

 

 10章 4節 

「 七つの雷が語ったとき、私は書き留めようとした。

すると、天からの声がこう言うのを聞いた。

『 七つの雷が 語ったことは封じておけ。

それを書き記すな。』」

      (新改訳2017)

 

 

ここで、ヨハネは 雷が語った あることを耳にするのですが、

 

その後、天からの声は何と述べたでしょうか。

 

ヨハネがその時 聞いた内容を、

『 封じておけ、それを書き記すな。』

と言われました。

 

 

と言うことは、

そうです、 ヨハネが耳にした 七つの雷が語った内容は、

ヨハネの黙示録には記されていないと言うことです。

 

 

ヨハネは聞きましたが、書くことを許されなかったわけです。

 

では、その話された内容は いったいどのようなものだったのでしょうか。

 

 

実はこの事は 旧約聖書のある預言、そしてパウロのある手紙 に記されていた事で、

 

それについての情報は、iza2464 様のブログから記事を書いて下さる予定です。

 

 

また これも、iza2464 様のブログの中で触れていますが、

ルカによる福音書の 21章24節にある ‘’異邦人の時‘’ は満ちたのでしょうか ?

 

 

 

さらに、ヨハネの黙示録の中で言われている、

1260日、また 42ヶ月は、どうなのでしょうか ?

 

これらの詳細については、

後日、当ブロクから解説いたします。

 

 

そして 次に、

ヨハネの黙示録  11章 11節  です。  そこには、

           ⇩

 

「しかし、 三日半の後、いのちの息が、神から出て 二人のうちに入り、彼らは自分たちの足で立った。

見ていた者たちは大きな恐怖に襲われた。」

 

と書かれてありますが、

この聖句に関しては、以前、ヨハネの黙示録11章13節の考察のシリーズの中でも少し触れたと思います。

 

もし、内容をはっきりと思い出せないと思われるようでしたら、是非 復習を兼ねて 過去の記事を確認されることをお勧めしますが、

 

 

このヨハネの黙示録 11章11節 については、今回、もう少し具体的に解説して行きたいと考えています。

 

 

 

ここで述べられている、

‘’ 三日半 ‘’ と言うのは、もう終わったのでしょうか?

 

 

そして

‘’ いのちの息が 神から出て二人のうちに入り ‘’  というのは どういう意味でしょうか ?

 

 

さらに、‘’ 彼らは自分たちの足で立った ‘’   と言うのはどのような意味なのでしょうか ?

 

 

また、それによって、‘’ 見ていた者たちは大きな恐怖に襲われた ‘’

 

と続いていますが、

 

 

実は、

この「 彼らは自分たちの足で立った 」の部分の後には、原語では ある接続詞が使われているのですが、

この訳では、省かれているようです。

 

 

実は、その接続詞が、深い意味を持っている接続詞で、

 

また、この部分は旧約聖書のある預言とも関連しています。

それは、マラキ書です。

     

 

  マラキ書  4章 5節 

     ⇩

 

「  みよ。  わたしは、主の大いなる恐るべき日が  来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。 」

    (新改訳2017)

 

この預言は、一世紀 には バプテストのヨハネが現れることによって成就しました。

 

 

では、今日においては 誰のことを指しているのでしょうか。

 

 

同じ マラキ書の、3章 1節には、

 

「  見よ、わたしは わたしの使いを遣わす。 

彼は、わたしの前に道を備える。·····」

 

 

とありますが、

ここで 述べられている、

預言者エリヤ、そして、

わたしの使い

これらは同一の者たちを表しています。

まず、この事をおさえておいて下さればと思います。

 

 

 

 

それでは、

この預言の一つ一つの解釈を行なう前に、まず 別の預言の解釈を行ってから、

その後にマラキ書の奥義に迫ってまいりたいと思います。

 

 

並行して、iza2464 様が

エスの語られた 預言的な例えと、ヨハネの黙示録から解説して下さっていますので、そちらもお見逃しなく。

 

 

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🔹iza2464 様のブログはこちらから

     ⇩

https://iza2464.hatenablog.com/about

 

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