From KSRG ✯「 神の言葉 [聖書] は とこしえに残る」−(27)

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《 神の言葉 [聖書] は とこしえに残る 》−(27)

 

⬜ 今回は まず、

ヨハネの黙示録 11章 1・2 節 について考えてから 本論の内容に入って行きたいと思います。

    

                 

 

ヨハネの黙示録 11章 1・2 節

      ⇩

 

「 それから、杖のような測り竿(ざお)が私に与えられて、こう告げられた。

『 立って、神の神殿と祭壇と、そこで礼拝している人々を測りなさい。

  神殿の外の庭はそのままにしておきなさい。それを測ってはいけない。

それは異邦人に与えられているからだ。

彼らは聖なる都を四十二か月の間、踏みにじることになる。····』」(新改訳2017)

 

 

 

では、どのような意味があるのか、早速この深遠な預言の解説に入っていきましょう。

 

 

まず、この 2節 後半で表現されている 42ヶ月は、3節の1260日と同じ期間のことです。

( この事は You Tubeチャンネル From KSRGの動画内で話してきた通りです。)

 

 

 

そしてルカによる福音書 21章24節に書かれている

“ 異邦人の時 ”   と、

 

先ほどの、黙示録11章 2節で「 ···· 異邦人に与えられている」と書かれていた、この部分は、

 

 

同じ期間ではありませんが、

ある部分は かぶっているとだけ 今回はお伝えしておきます。

 

 

それでは、1節 から解説していきたいと思います。

 

 

まず、ヨハネは 幻の中で、杖のような測り竿を与えられます。

 

 

そして こうあります。

 

 

「 立って、

神の神殿と祭壇と、

そこで礼拝している人々を測りなさい。」

 

 

 

そして、2節を見ると、

「 神殿の外の庭はそのままにしておきなさい。」

 

と 続いているわけです。

 

 

 

ここで 述べられている、神の神殿と祭壇、

そして、そこで 礼拝している人々を 測りなさい。

とはどういう意味なのでしょうか。

 

 

まず、この時に ヨハネが与えられた 杖のような測り竿 なのですが、

 

まず、‘’杖‘’ について。

聖書の中で 杖 は、

支配権を象徴的に表していました。

 

 

では、神の神殿 とは、何のことを言っているのでしょうか。

 

 

‘’ 神の神殿 ‘’ の意味を知る為に、

まずは、ここで 神殿 と訳されているギリシャ語に基づく解説をしていきたいと思いますが、

 

 

その語 によると ここで言う神殿 とは、

神殿の中の 

聖所、

祭司の庭、

イスラエルの為の庭園、

女性の為の庭園、

これらのすべてを指しているものと思われます。

 

ただし、垂れ幕と至聖所は含まれません。

※ これらについては、また 後日、詳しく説明したいと思います。

 

 

それで 次に、ここで述べられている  ‘’ 祭壇 ‘’ ですが、

 

パウロは、ヘブル人への手紙10章の中で 祭壇 を、

神のみ旨を行なうことを象徴するものとして、

イエス・キリストに適用して 記述しています。

 

 

つまり ここで言う ‘’祭壇‘’

とは、

正しい仕方で、神のみ旨を行う事を象徴的に表している、と言うことです。

 

 

 

また、

ここで 測り竿 と訳されているギリシャ語には、

ある基準をもとにして 判断する、見当を付ける、調べる、調整する。そして 選別 という意味があります。

 

 

ここまでの内容を読まれて ある方々は気付かれたかも知れませんが、

 

 

結論から先に述べると この

ヨハネの黙示録 11章 1・2 節 の内容は、

 

 

14万4千人級が、仮選別される、つまり、終末の期間に入って 、まず、14万4千人級の仮選別が始まったことを示していると言えます。

 

 

つまりは、 ‘’ 神の神殿 ‘’

これは、14万4千人級 を表していると言う事です。

 

なぜそのように言えるのか、根拠となる聖句には以下のような聖句があります。

     ⇩

 

○コリントの信徒への手紙(一)3 章 16節(新共同訳)

「 あなたがたは、自分が神の神殿であり····」

 

○エフェソの信徒への手紙2 章 21・22節(新共同訳)

「  キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて 成長し、主における聖なる神殿となります。

キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。」

 

 

これらの聖句から、

14万4千人級が、将来、正式に 14万4千人として得る立場や報いなどを、神の神殿と言う表現で象徴的に表わしていることを知る事ができます。

 

 

それで、14万4千人級としてその期間中に測られ、仮選別された ということになります。

( ※ 後日、偉大な霊的神殿についての詳細を 当ブログ、または、iza2464様のブログより、お知らせする予定です。)

 

では、その他の仮選別者たちは どうなのでしょうか。

 

 

1節  後半の

‘’ そこで礼拝している人々を測りなさい ‘’

 

と 書かれている この部分は、14万4千人級 以外の仮選別者たちの事を表していると言えます。

 

何故なら、‘’神の神殿‘’ は14万四千人級を表しているからです。

 

14万4千人は霊者となるのに対し、

それ以外の者たちは、あくまでも、人間であって、

神殿級ではありません。

そのような意味においても ここで述べられている

‘’祭壇で礼拝する 人々‘’

と言う表現はふさわしいと言えます。

 

 

それらの者たちも決められたと言うことです。

 

 

この部分を そのような視点で読まれると、理解出来ると思いますが、

 

 

「 神の神殿」と「祭壇」と、

そして「 そこで礼拝している人々を ···· 」

 

の部分とに区別し、分けて書かれてあるのには、意味がある、と言うことです。

 

 

ここまでが、一区切りとして、一旦 ここまでを まとめてみますと、

 

終末の期間に入ってから 、42か月であり1260日ですが、

 

その間にまず、14万4千人級が決められたと言うことです。

 

また、その他の仮選別者もその期間の中で決められました。

( ※ ここでは、あくまでも、仮選別です。)

 

ですから、仮選別者 以外の者が この後から入って来ることはないと言えます。

 

但し、今の時点で、だれが 仮選別されているのか、我々人間には分かりません。

 

可能性も含めた上での仮選別でもありますし、

 

我々の判断で、誰がそこに入っているか、或いは 外れているかなどを知る事は出来ないと言うことです。

 

 

 

さて、‘’祭壇‘’ について、ここでもう少し 説明を加えたいと思います。

 

 

神殿と、そこで礼拝している人々を測ると言うところまでは、理解できたと思います。

 

 

では、なぜ祭壇を測る必要があるのでしょうか。

 

答えはシンプルなものです。

 

真のキリストの教え、ヤハウェの 御旨は 一世紀に歪められ、約二千年間 かけて悪魔によって完全に歪められてしまったからです。

 

ですから、終末の期間に入ってから、

ヤハウェの御旨、つまり 聖書に基づいた正しい礼拝の仕方に調整する必要性があったということです。

 

そのような意味において 祭壇が測られたということです。

 

祭壇が測られたお陰で、 14万4千人級とその他の仮選別者たちは、正しいヤハウェのご意思を学んで、実践出来るようにされたということです。

 

   ·  ·  ·

 

では 次に 考慮していく点です。

 

 

ヨハネの黙示録 の 11章 2 節  を見ると、

 

「 神殿の外の庭はそのままにしておきなさい。」

と書かれてありますが、

 

これは どういう意味でしょうか。

 

 

神殿の外の庭 とは何なのでしょうか。

 

まず、

神殿の外の庭というのは、第二神殿で言うならば、‘’異邦人の為の庭 ‘’ のことです。

 

つまりは ┅、

 

神殿の外の庭(異邦人の為の庭)は、測られないと言うことです。

 

 

因みにですが、

‘’ 神殿の外の庭 ‘’( 異邦人の為の庭 ) と言うのは、

当時では 異邦人の改宗者たちが 礼拝をするために、入ることを許された庭でした。

 

つまり、そこに来ている異邦人は、本人の意思で ヤハウェを崇拝する生き方を選択できた、ということですが、

 

 

 

ただ、今回の聖句の中では、

神殿の外の庭は、測らずにそのままにしておきなさい。

と言われています。

つまり、そこにいるものは測らずともよいと言うことです。

 

これはどう言う事なのでしょうか。

 

 

当時は 外の庭つまり、異邦人に与えられている庭 は、異邦人も改宗者として 礼拝を行なうために入ることを許されていた庭でしたが、

 

 

ヤハウェから見て、そこに来ている者の全員が、完全に改宗した者と見られていた訳ではなかった と言うことです。

 

周囲の人の目には、儀式的にでも礼拝を行なっていれば改宗者と映っていたのかも知れませんが、ヤハウェから見れば、そうではなかったと言うことのようです。

 

何が問題だったのでしょうか。

 

分かりやすい例として言えば、礼拝を行なうために、どれほど定期的に足を運んでいたとしても、です。

 

形だけの儀式を行なう為に 中庭に来ていた人は、ヤハウェから見てどう映っていたのかと言うことです。

これは一例ですが、

 

もっぱら ご利益を求めて、礼拝を行なう それらの人々は、ヤハウェからすると、

しょせん、外の中庭に集まって来る異邦人でしかないと言うことでした。

 

 

むしろ逆を言えば、ヤハウェから この人は 心からご自身に来た者である、あるいはそうなる可能性がある人と見られている人は、

 黙示録の幻の

神殿の外の庭ではなく、

祭壇で ‘’礼拝を行なう人々‘’ の中に

入っていると言うことです。

 

では、

神殿の外の庭はそのままにしておきなさい。

 

 

更に、2節の続く部分で、

‘’ それは異邦人に与えられている ‘’

また

‘’ 彼らは聖なる都を四十二か月の間、踏みにじる ‘’

 

とはどのような意味があるのでしょうか。

 

これらの意味については、次回 解説できればと思います。

 

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