From KSRG ✰「 神の言葉 [聖書] は とこしえに残る 」(17)

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《 神の言葉 [聖書] は とこしえに残る》―(17)   

〚 群れの監督者とは 〛

 

✽ まず、今回の内容に入って行く前に。

しばらくの間、ブログを上げる事ができず、皆様にはご心配をお掛けしておりました事を お詫び致します。また、皆様が祈りに含めて下さった事への心からの感謝もお伝えしたいと思います。今後も引き続き 精進していく所存ですので、

皆様にも引き続き記事をお読み頂ければ幸いです。

 

 

⬜ さて、 今回から  使徒行伝  20章 28節 を 深く掘り下げて考えて いきたいと思います。

 

 

 

28節 には、

次のように書かれてあります。 

 

 

(口語訳)

「 ····あなたがた自身に気をつけ、また、すべての群れに気をくばっていただきたい。

聖霊は、神が御子の血であがない取られた 神の教会を牧させるために、あなたがたを その群れの監督者にお立てになったのである。」

 

 

 

ヤハウェが、私たちに 授けて下さった 聖霊は 実に様々な働きをします。

 

 

それで、

聖霊の働きには、どのようなものがあるのか、挙げていきますと。

 

 

まずは、

◾ 自分が、天的な希望を抱いていると言うことを確信させてくれます。

 

さらに、

◾ 新しき人、つまり、新しい人格を身に付ける上で、助けを与えてくれます。

 

◾ ある人には、メッセンジャーを行いたいと言う、動機付けを与えてくれることもあります。

 

◾ また、聖書を理解するための助けを与えてくれます。

 

◾ 悪魔や悪霊たち から、保護してくれることもあります。

 

 

◾ そして、これは もちろん 個人差がありますが、高次元からの インスピレーションが降りて来る際に、

聖霊がそのように 感覚的なものとして、我々に教えてくれる事もあります。

 

 

 今、ここで 挙げたのは、聖霊の働きの中の 一部に過ぎませんが ····。

 

 

 

特に 今回 考えたいのは、

聖霊が、14万4千人級を 整え、  さらに、

必要とあらば   導き、そして、

ある者を 教える資格を有する者として 任命する、という点です。

 

 

 

実は、それが、今回考えている 使徒20章28節の聖句と言うことです。

 

 

 

では、28節に、群れの監督者に関して、何と書かれてあるか見てみましょう。

 

 

まず、「 あなたがた自身に気をつけ」 るように、

と言うことです。

 

 

つまり、

自分自身がヤハウェ の ものさし から ぶれてしまっては、

 

 

ここで言っている、‘’ 群れの監督者 ‘’ に任命されることなど、期待出来ないというのは勿論のこと。

 

 

これは すべての人に言えることですが、

自分自身に気を付けることは、優先順位の最も上にくる事柄でしょう。

 

 

そして 次に、

 

 

‘’ すべての群れに気をくばって いただきたい ‘’ 

 

 

と ありますが、

 

 

どうすれば、また、どのように  ‘’ すべての群れ ‘’ つまり、14万4千人級に 気をくばる ことができるでしょうか。

 

この点は、後で考えることにして、

 

 

その次を考えてみたいと思います。こうあります。

 

 

‘’ 聖霊は、神(ヤハウェ)が 御子の血であがない取られた神(ヤハウェ)の教会を牧させるために、あなたがたを その群れの監督者にお立てになったのである ‘’ 

 

 

と 書かれてあります。

 

 

では、一体 14万4千人級を導き、整え、教える者として、

聖霊により任命を受けるのは、どのような人でしょうか。    

 

 

 

例えば

ペテロの第一の手紙 5:1—4節 には、

‘’ 長老 ‘’ と呼ばれる( 教える資格のある) 者について 書かれてあります。

 

 

そこを見てみますと。

 

 

2節 で、

「 あなたがたに ゆだねられている 神(ヤハウェ)の羊の群れを牧しなさい ····。」

 

とあります。

 

 

つまり、14万4千人級 すべては、(もちろん その人 自身も含めてですが)ヤハウェの ものです。

 

その羊の群れを牧するという責任を、ヤハウェから 委ねられていると言うことです。

 

 

もちろん、強いられて するのではなく、神に従って 自ら進んで なし、恥ずべき利得のためではなく、本心から それをしなさい。

 

 

と書かれてあります。

 

 

ここの、‘’ 恥ずべき利得 ‘’ というのは、何も 金銭的なもの(物理的な利得)に限って ではありません。

 

そのような意味で価値があるものだけではなく、

 

 

自分にとって 利得と思えるもの すべて です。

 

 

例えば、これは 中々 気が付きにくい分野 かも知れませんが、

 

 

塵屑にも等しいものであるにもかかわらず、自分を目立たせようとしたり、自分に注意を引いたり、などです。

 

この、目立ちたい、注目を受けたい というのは、悪魔の世の精神です。

 

 

少し自己分析してみると、そのような、行動の背後に、どのような精神、願望が隠れているか 理解 できるかも知れませんが。

 

 

実は、そのような精神や願望は、ヤハウェから見ると、恥ずべきことです。

 

例えば、承認欲求や自己顕示欲の強い傾向にある人などです。

 

自分にそのような傾向がないか、少し振り返ってみる必要があるかもしれませんね。

 

‘’ 利得 ‘’ と言えるものには、まだまだ 他にもありますから、

祈りのうちに、自己分析されるなら、様々な気付きが与えられるかも知れません。

 

 

次いで、3節には、 

「 ゆだねられた者たちの上に権力を振るうことをしないで 」

 

と あります。

 

 

これは、たとえば、どこかの 宗教団体に見られるような、

指導者が、いわゆる 自分より立場の低い人に何かを 強要したり、好き勝手に振る舞ったり、私物化するなど、そのような所もあるようですが。

 

 

そう言った 分かりやすいものだけではなく、

 

 

実は、これも、気付きにくいところかも知れないですが、‘’ 人を裁く ‘’ という落とし穴もあります。

 

 

 

例えば、これは 一例ですが。

 

 

すべての 仮選別者(当人も含め)は 霊的成長の途中です。

 

 

であるのに、

 

 

自分の中で、

‘’ 誰々は無理だろう‘’ とか、

‘’ 〇〇のことをしなければ、選別から外れます ‘’

などと、

  ヤハウェの基準ではなく 

 ‘’ その人の個人的な基準  ‘’

で、他の人を裁いたり、それを口頭や、文字によって、ウェブ上で発信するとしたら、どうでしょうか。

 

 

そのような行動が、メッセージを受け取る側に どのような影響を与えるかを考えてみるなら、

 

 

それは、人を励ましたり、築き上げたり、するものとは言えないでしょう。

 

 

また、そのようなことは、決して小さいことでもありません。

 

 

もし、群れの監督者という立場で、そのような考え方や行動を取るとしたら、それは、委ねられた者たちの上に、

 

 

 ‘’権力を振るう‘’ ことになってしまわないでしょうか。

つまり権力の乱用になるということです。

 

 

はっきり 申し上げると、

そもそも 群れの監督者には、

そのように、個人的な判断で 人を裁く権限は与えられていません。

 

 

 

自分に与えられてもいないのに、そのような行動をしてしまうぐらいなら、そのような立場にいない方が 良いと言うことです。

 

 

これは、あくまでも一例です。

 

 🔶  ここで 言っている ‘’人を裁く ‘’  とは、ヤハウェの基準ではなく、自分の個人的な考えで、他の人に関して あの人は無理だ、アウトだ、と決めつける事であり、
ヤハウェの基準に沿って 相手に気付かせることにより、相手の考え方や行動を調整する事とは 違います。
繰り返しますが、ここで ‘’ 裁く‘’と言っているのは、自分の個人的な判断で、他の人に関して、この人は無理だ(救われない) と考えたり、伝えるなどすることであり、
他の人をヤハウェの基準によって 調整するのとは別です。

 

 

 

話をもどしますが、

 

ペテロの手紙の中には、

‘’ むしろ、群れの模範となるべきである ‘’

 

と 書かれてあります。

 

 

誰に対して、それ(模範)を 示すのでしょうか。

 

 

もちろん、14万4千人級に対してです。

そして ヤハウェのみ前、また、御子イエス・キリスト、さらに 高次元にいる 天使たちの前で、14万4千人級 すべてにとっての模範である事を見ていただく必要があります。

 

 

ただ、このペテロの手紙の聖句は、おおよその目安を述べている聖句に過ぎず。

 

 

聖霊によって、ヤハウェの教会(会衆)を牧させるために、その群れの監督者として、任命される為の 条件は、先ほど 考えたペテロの聖句の内容だけではありません。

 

 

ただ、これも、押さえておいて頂きたいのですが、

 

聖霊により、群れの監督者 として 任命されるなら、聖霊から 直接 必要な 教えを受けることは できます。

 

 

ヨハネによる福音書 14章26節

これは、これまでにも、何度も開いてきた  聖句です。

 

「 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によって つかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また わたしが 話しておいたことを、ことごとく思い起こさせるであろう。」(口語訳)

 

 

さらに、

 

コリント人への第一の手紙 2 章 13節 

 

「 この賜物について 語るにも、わたしたちは人間の知恵が教える言葉を用いないで、御霊の教える言葉を用い、霊によって霊のことを解釈するのである。」

 

 

これらのことを経験する、ということです。

 

 

 

ただ、ここで  です。

 

だからといって、群れの監督者 として任命された者が、他の14万4千人級の人よりも上だとか、特別な存在であるとか。

 

この世で言う、昇進 とか、また、この世で言う、いわゆる、教育者  等と言った、偉い役職 に就く と言うようなものではありません。

 

 

むしろ、その逆です。

ヤハウェの群れにお仕えするために、自分の時間やその他  諸々、最大限 活用して 自分自身を捧げる必要があります。

 

当然、日常の生活上の責任も 果しながらです。

 

そう考えると、自分の楽しみ事など、

例えば、何かしらの趣味を持つような余裕も無いでしょう。

 

 

ですから、何が何でも 群れの監督者にならなければ、と考える必要は無いと言うことです。

 

 

 

本来ならば、メッセンジャーの務めを果たしているだけでも、十分なんです。

 

 

それらの事も、行ないたくても、行なえない 境遇や、立場の人もいるわけですので。

   

        ▫      ▫     ▫     ▫    

 🔶  因みにですが、当然 群れの監督者は、
iza2464 様が 11\14 に更新された、
ヤハウェのみ旨」から(11)《 霊の火を消してはいけません 》
 の 記事の中で、霊の火が燃えている人の特徴を、全部で 25項目 挙げて下さいましたが、
この25項目 全てに該当するよう調整されていなければ、群れの監督者として 任命されることはありません。
また、最後まで その要件を保たなければ、14万4千人からも外されます。
 
それを判別するのは ヤハウェです。
ルカによる福音書 12章48節
「··· 多く任せられた者からは 更に多く要求されるのである。」
とある通りです。当然 監督者はこれら全てを満たしている必要があると言うことです。

🔶  iza2464 様 の ブログはこちらから。 

                    ⇩

https://iza2464.hatenablog.com/entry/2022/11/14/180514

  

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···· それでは、次回から、どのような人が 群れの監督者として、聖霊による任命を受けるのか について、

 

 

書ける範囲で、

聖書に記された基準。

 

それを 示して行きたいと考えておりますが。

 

 

恐らくですが、その基準を読まれたときに、

多くの方は、

 

自分は メッセンジャーでいい。

 

 

となるのではないか と思います。

もちろん 言い切ることは 出来ないですが ····。

( ※ 繰り返しになりますが、話の途中にあったような、承認欲求や自己顕示欲が強い傾向にある方などは、群れの監督者に任命されることはありません。
なぜなら、そのような欲 そのものが、悪魔の精神であり、ヤハウェから見ると 忌まわしい事だからです。)

 

では、今回は  ここまでにして、最後に、

エスの言われた ある言葉を紹介して 終えたいと思います。

 

 

マタイによる福音書 20章 25—28

 

「 そこで、イエスは 彼らを呼び寄せて言われた、

『 あなたがたの 知っているとおり、異邦人の支配者たちは その民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。

あなたがたの間では そうであってはならない。 

かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間で かしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない。

それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また 多くの人の あがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである 。』」(口語訳)

  

 

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注 : 今回、解説しました
‘’ 群れの監督者 ‘’ というのは、
You Tube チャンネル From KSRG の 動画で、度々 出てくる、大きな苦難(大患難)における ‘’ 牧者 ‘’ と、同一 の ものではありません。

 

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