From KSRG ✰〈 聖書の疑問に対する答え 〉❷「 アダムが最初に使っていた言語は何ですか? この問いに対する答えは 今の我々にどのような教訓を与えるものとなりますか?」—No.4

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〈 聖書の疑問に対する答え 〉❷

「 アダムが最初に使っていた言語は何ですか? この問いに対する答えは、今の我々に どのような教訓を与えるものとなりますか?」—No.4



■ 今回は No.4 ということで、得られる教訓 の 前回からの続きです。

ノアの洪水を生き残った、セム、ハム、ヤペテということでしたが、


結局、人類は再び悪に戻ってしまいました。


何故なのでしょうか?


また、ここから 何が分かるのでしょうか 。


大前提として、ヤハウェの祝福がなければ、まず 人間は幸福には なれないと言うことです。


すぐに 悪魔の型にはめられてしまいます。



例えば、
創世記 9章 26節 を見ると、
ノア は セム のことを 祝福しています。


そこには、それ以上は、何も書かれていませんが、そのようにして、セムヤハウェからの祝福を受け続けることが出来るようにセムを教育した と言うことです。


それで、セムは、生涯ヤハウェから離れませんでした。


このように、聖書を読み進んでいくと、ヤハウェ から祝福を受ける人物のことが 記述されています。



それでは、セムは なぜ自分の子供を祝福しなかったのでしょうか。


これには、理由がありますが、今ここで、そのことを説明していくと、かなり長い解説になってしまいますので、その点は また後日 時間の許すときに、お話させて頂きたいと 思います。


分かりやすく言うと、息子たちの中に、祝福するに値する者がいなかった、と言うのがその答えです。


ただ やはり、歴史が示す通り、セムの子孫も、結局のところ ヤハウェの祝福は無かったので


その子孫たちも、ヤハウェから離れていく結果となりました。


このことから 何が分かるのか。


それは、
ヤハウェ から 祝福して頂けるということが、いかに 重要なことであるか、と言うことです。


箴言 10章 22節 には 次のように書かれてあります。

「 主(ヤハウェ)の 祝福 は人を富ませる···」


では、今日 ヤハウェに祝福されるには、何が必要なのでしょうか。


一言でいうなら、
ヤハウェの み旨、み心、ご意思を行なう事です。



話を戻します。


これは 前回でも述べたことですが、セムは ノア からの 正統 継承者でした。

そして、正統継承者 として
ヤハウェの祝福はもとより、
家族を霊的に養う方法も
ノアから、伝えられていました。


ですから、それらをセムから教えられた アブラハムは、父親のテラ、そして自分の妻、子供、また いとこ、その他の親族をも、ヤハウェの崇拝者として 導くことが出来ました。



そして、その方法は、形を変えて モーセの律法契約、そして 新しい契約へ と 受け継がれていきました。


但し、
何しろ、当てはめる人間の側が、不完全ですので、しかも人間は、時の経過と共に、つまり 時代が進むに従って、アブラハムの時代の時よりも 人間の不完全さも、どんどんと進んでいきましたから、


モーセの律法、さらには 新しい契約へと、ヤハウェのものさしは、より明確になっていきましたが、


繰り返しますが、時代が進むに連れて、人間の不完全さも進んで 行ったので、当てはめる側は、より 当てはめ辛くなっていったのは事実です。


ただ、そのように 人間の側が 不完全になり 当てはめ辛くなったとは言え、
神の基準 では あるので、人間が考えた基準や教育よりも ずっと理にかなっており、もし当てはめることが出来るなら、良い結果になるのは間違いないでしょう。


そして、これは 教訓と言うよりも、一つの 豆知識です。

イスラエルの伝統武術、そして製鉄技術、また 刃物の使い方などは、

アブラハムの空白の 75年間 の時に セム から 伝承された と言うのが、今の説 です。


特に、刃物の使い方に関しては、相手を無力化 させる 技術が、かなりの完成された 技術であったことが、
創世記 14章 から 読み取ることが出来ます。


創世記 14章 14節 には、このように書かれてあります。

アブラハムは身内の者が捕虜になったのを聞き、訓練した家の子 三百十八人 を引き連れて···


ここを見ると、アブラハムが自分の部族のある者たちを訓練していたことが、分かりますね。



そして、

創世記 14章 18—20節

「 その時、サレムの王 メルキゼデクは パンとぶどう酒とを持ってきた。
彼は いと高き神の祭司である。 彼はアブラム(アブラハム)を祝福して言った、
『 願わくは 天地の主なる いと高き神が、アブラムを祝福されるように。
願わくは あなたの敵をあなたの手に渡された いと高き神があがめられるように。』···」


このように、サレムの王、メルキゼデクが、アブラム(アブラハム)を祝福したことが 書かれてあります。


前々回でも、お伝えしましたが、ユダヤ教のある伝承によると、メルキゼデク は セム だと断言しております。


恐らく、そうでしょう。


ただ、このブログの記事 内でセムがメルキゼデクだと断言することは出来かねます。

(※ ユダヤ教は、イエス・キリストのことも、新約聖書も、 認めていないので、そのように断言出来るのかもしれません。)


ただ、イエス・キリスト新約聖書も受け入れ、信じる者にとっては、そのことを断言してしまうと、一つ 不都合な事が生じてしまうと言うことです。


その要因となるのは、次の聖句です。


ヘブル人への手紙 7章 1—3節

「 この メルキゼデクは サレムの王であり、いと高き神の祭司であったが、王たちを撃破して帰るアブラハムを迎えて祝福し、
それに対して、アブラハムは彼にすべての物の十分の一を分け与えたのである。
その名の意味は、第一に義の王、次にまたサレムの王、すなわち平和の王である。
彼には父がなく、母がなく、系図がなく、生涯の初めもなく、生命の終りもなく、神の子のようであって、いつまでも祭司なのである。」



ここで
パウロは メルキゼデク について


‘’ 父がなく、母がなく、系図がなく、生涯の初めもなく、生命の終りもなく、神の子のようであって、いつまでも祭司なのである ‘’

と言っています。


メルキゼデクは今でも生きているのでしょうか?

そうではありません。


言うまでもなく、ここの描写が文字通り当てはまる者など存在し得ません。


では、ここで パウロが言わんとしていることは何でしょうか。



このヘブル人への手紙 全体を 概観 されると分かりますが、



パウロは メルキゼデクをそのように表現することによって、ある ひな型 を予示していたと言うことです。



繰り返しになりますが、
メルキゼデクは、ユダヤのある伝承にあるように セム かも知れません。


ただ、いずれにしても、‘’ メルキゼデク ‘’ は イエス・キリストを象徴的に表していたと 言うことです。

 

と なると、アブラハムは誰を象徴的に表していたのでしょうか


それは、14 万 4千人 です。


もっと厳密に言うと、アブラハムと訓練された 三百十八人の者が、14 万 4千人 を表しています。

では、ロトは 誰を表していたのでしょうか。


その他 の選別者という事になります。

(※ この点は、次回の記事で、さらに詳しくお伝えしたいと思います。)



これらの事を踏まえた上で、 是非 もう一度、創世記14章を熟読されることを お勧めします。



今日、14万 4千人 として、聖霊による証印を押され、恵みにより、天に召される者 として、仮選別されている人々は、何と幸いなのでしょう。




ひとまず 今回の教訓はここまでとします。


次回は、神の言葉はとこしえに残る(9)を予定していますが


次回の話 は今回の内容と深く関連性のある内容になっており、

話の内容は繋がりのあるものとなります。

是非 引き続き熟読してくださったらと思います。

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 You Tubeチャンネル
From KSRG 誘導動画
『5つの 事とは』
    
     ⇩
https://youtu.be/URSsXEu_5bI


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