From KSRG ✰「神の言葉[聖書]は とこしえに残る」(6)

《神の言葉[聖書]は とこしえに残る》(6) [聖書を理解する上での補足情報]


⬜ 今回 まず 、見て頂きたい 聖句 は ダニエル書 12章 3・4 節 です。
    ⇩

「 賢い者は、大空の輝きのように輝き、また 多くの人を義に導く者は、星のようになって永遠にいたるでしょう。

ダニエルよ、あなたは終わりの時まで この言葉を秘し、この書を封じておきなさい。
多くの者は、あちこちと探り調べ、そして知識が増すでしょう。」


この中を見ていきますと(3節)
「 賢い者 」また「 多くの人を義に導く者 」 について 書かれてあります。



新共同訳では

「 目覚めた人々は 大空の光のように輝き
多くの者の救いとなった人々は とこしえに星と輝く。」(3節)

と訳されています。


この、「 賢い者」「 多くの人を義に導く者」
また 新共同訳の、
「 目覚めた人々」や
「 多くの者の救いとなった人々」 です。


これは、誰のことを言っているのでしょうか。



···さらに、12章10節 には こう書かれています。

「 多くの者 は、自分を清め、自分を白くし、かつ練られるでしょう。しかし、悪い者は 悪い事を おこない、ひとりも悟ることはないが、賢い者は悟るでしょう。」


新共同訳では
「 多くの者は清められ、白くされ、練られる。逆らう者は なお逆らう。逆らう者はだれも悟らないが、目覚めた人々は悟る。」


そのように 努力する者が悟りを得るということです。


そして、
ここで言っている‘’ 悪い者 ‘’ というのは、一般的な意味においての、悪い者、悪人 のことではりません。


ここでは、真理を悟る者 と そうではない者(真理に逆らう者) という 視点から考えた ‘’悪い者‘’ ということですので、ただの
悪人 のことではありません。



ここで 言っている ‘’悪い者‘’ というのは、特に聖書を聖典としている 宗教指導者のことです。


( マタイによる福音書 23章
全体を参照 )


そして、その宗教指導者に追随する人たちも含まれることでしょう。


マタイによる福音書15章14節で、イエスはこのように言われました。


「 ····彼らは盲人を手引きする盲人である。もし盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むであろう 」(口語訳)



ですから宗教指導者に追随する人たちも、道を改めない限り 同じ結末に至る。

真理を悟ることはないということです。



····そして、 10節をもう少し 考えてみますと。
多くの者は 清められ、白くされ、練られる ····。
それらの人々が目覚め、悟る ということですが、



これは、
個人的に聖書を読んで、書かれてある事柄に沿って、自分を清くし、白くし、練られるよう 努力することが 関係しています。もちろん、 そのような 努力も大切です。


ただ、
ここの「 目覚めた人々は悟る」と書かれてある、つまり、真の悟りというのは

個人の努力だけで 得られるものではないんです。



コリント人への第一の手紙
2章10節にはこのように書かれてあります。
     ⇩

2章10節
「 そして、それを神は、御霊によって わたしたちに啓示して下さったのである。御霊はすべてのものをきわめ、神の深みまでも きわめるのだからである。」



何と書かれてあるでしょうか。
御霊、つまり、ヤハウェからの霊、そして 聖霊です。




真の悟りを得るには、ヤハウェからの 霊、そして聖霊の助けが不可欠ということです。




では、今回、イザヤ書 61章 も考えてみましょう。


イザヤ書 61章 (全体)

「 主なる神の霊がわたしに臨んだ。
これは主が わたしに 油を注いで、
貧しい者に 福音を述べ伝えることをゆだね、
わたしをつかわして 心のいためる者をいやし、
捕われ人に放免を告げ、
縛られている者に解放を告げ、主の恵みの年と
われわれの神の報復の日とを告げさせ、
また、すべての 悲しむ者を慰め、
シオンの中の悲しむ者に 喜びを与え、
灰にかえて冠を与え、
悲しみにかえて喜びの油を与え、
憂いの心にかえて、
さんびの衣を与えさせるためである。
こうして、彼らは 義のかしの木と となえられ、
主が その栄光を あらわすために植えられた者と となえられる。
彼らは いにしえの 荒れた所を建てなおし、
さきに荒れすたれた所を興し、
荒れた町々を新たにし、
世々すたれた所を再び建てる。
外国人は立ってあなたがたの群れを飼い、
異邦人はあなたがたの畑を耕す者となり、
ぶどうを作る者となる。
しかし、あなたがたは主の祭司と となえられ、
われわれの神の役者と呼ばれ、もろもろの国の富を食べ、
彼らの宝を得て喜ぶ。
あなたがたは、さきに受けた恥にかえて、
二倍の賜物を受け、
はずかしめにかえて、その嗣業を得て楽しむ。
それゆえ、あなたがたはその地にあって、
二倍の賜物を獲、
とこしえの喜びを得る。
主なるわたしは公平を愛し、
強奪と邪悪を憎み、
真実をもって彼らに報いを与え、
彼らと、とこしえの契約を結ぶからである。
彼らの子孫は、もろもろの国の中で知られ、
彼らの子らは、もろもろの民の中に知られる。すべてこれを見る者は これが主の祝福された民であることを認める。
わたしは主を大いに喜び、
わが魂はわが神を楽しむ。
主がわたしに救いの衣を着せ、
義の上衣をまとわせて、
花婿が冠をいただき、
花嫁が宝玉をもって飾るようにされたからである。
地が芽をいだし、園がまいたものを生やすように、
主なる神は義と誉れ とを、
もろもろの 国の前に、生やされる。」(口語訳)



これらの預言は、まず、新バビロニア帝国 から 解放された ユダヤ人 たちに成就しました。



そして さらに、西暦一世紀には、また別の形で成就しました。



そして 今日において、この預言は、最も顕著な形で、現在進行形で 成就しています。



実は、イエス・キリストは このイザヤ書の預言を(福音書の中で)弟子たちに説明 する際に


ここに書かれてある内容とは  ほぼ違う論点から話しをされました。


では、次回からこの預言をイエスが どのように説明されたのかという点と、それにに加えて

さらに、今日において この預言が どのように 成就しているのか
について 深堀り考察をしてゆき、

最終的に、使徒パウロの語った 言葉 を 結論に持っていきたいと思います。

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