From KSRG ✰「神の言葉 [聖書] は とこしえに残る 」(12)

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《 神の言葉 [聖書] は とこしえに残る 》―(12) 


⬜ ここまでの内容で、
パウロはある意味、特異な存在だった と言うことについて お伝えすることが出来たと思います。


そして、先回の最後に紹介した 使徒行伝 9:15・16 の 奥義については、

中には、気付かれて、理解出来た方もおられたかも知れませんが、また、後日、詳しく解説したいと思います。



それと もう一つ、
テモテへの第ニの手紙 3:16 に

「 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって····」

と あります。

ここで 言っている、“ すべて ” というのは、
今、現在、すでに我々が知ることのできる 神からの言葉 すべて、つまり現在、手にしている、聖書 全巻ということです。


ただ、そのように 神の霊感を受けて 書かれた 聖書 自体、完成されたものと言われていますが、

その 聖書も、まだまだ説明が必要であると言うことを お伝えして来たと思います。




それで、今回は、
モーセの律法契約にあった、イスラエル人(特にユダヤ人)や、


イエス・キリストの来られた時に、イエスの弟子となった人々、


さらには、イエスの昇天後に、


聖書がどのように、人々に伝えられていったのか、


に ついて、今 一度、
一部ではありますが、聖書から 確認してみたいと 思います。



そして その後、特異な存在であった、パウロについて 考察していきたいと思います。


  .  .  .  .  


新バビロニア帝国によって、流刑にされていた ユダヤ人たちは、バビロンの崩壊に伴って、故国に帰還することが出来ました。(時は 紀元前 538年 以降)

周囲からの反対はあったものの、総督ゼルバベル、 大祭司ヨシュア、また、預言者ゼカリヤ、 ハガイ、といった 主だった人々のもとで、


真の崇拝を回復させるべく、
第二神殿の建設、
そして、その後、ネヘミヤ の 指導のもとで、城壁が建て直されました。


そのような背景の中で、


人々は、当時の聖書であった、モーセ 五書 を、どのように教えられていたのでしょうか。
代表者が、民の前で読み聞かせる、つまり、ただ 朗読する、という、そのうな 教え方をしていたのでしょうか?



ネヘミヤ記 8章 8節 を見てみますと、このように 書かれてあります。
      ⇩

「 彼らは その書、すなわち神の律法をめいりょうに読み、その意味を解き明かして その読むところを悟らせた。」


当時は、現代のような印刷技術もありませんでしたから、各自が律法の書を持つことは出来ませんでした。

それで 、定期的に代表者が、民の前で 読み聞かせるという事を していたわけですが、

ただ、 律法(モーセ五書)を民に読み聞かせるだけではなく、


先ほどの聖句にも あったように、

当時それを理解 出来るように、主に 祭司が任命され、民を教えていた事が分かります。


律法の書を聞いた だけでは、 理解出来ませんから、同時にその 意味を解き明かして、読むところを悟らせる。

そのような方法で、民を教えていたということです。


では、そのような教育はいつから行われていたのでしょうか。




申命記 1章 3―5 節の記述を見てみますと。

「 ····モーセイスラエルの人々にむかって、主がかれらのため 彼に授けられた命令を、ことごとく告げた。

····モーセはヨルダンの向こうのモアブの地で、みずから、この律法の説明に当った ···」


ヤハウェ から 律法を授かった
モーセ自身が、民に律法を読み聞かせ、そして、その説明に当った ということです。



そして、同じ、申命記 1章 15節を見ると、

「 あなたがたのうちから ( 民の中から )知恵があり、人に知られている人々を取って、あなたがたのかしらとした。すなわち 千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長とし、また、あなたがたの部族のつかさびと とした。」



これらの記述から分かること として、


民に律法を教えることは、モーセの時から、始めていたということです。


そして、民の数はその後もどんどん増えていきますから、その事を見越して、


それぞれ、部族ごと、家族ごとに長を任命し、様々な問題の処理に当らせたり、また、その役割りの中には、民を教えることも含んでいたようです。

   .  .  .

※ そして、これは 補足情報ですが、聖書の記述の中に 祭司(祭司職)という役職が出てきます。
祭司(祭司職)について 簡単に 説明しますと

祭司の役割りには、大きく分けて2つありました。

▷1つは、イスラエル国民の罪に関し、民を代表して執り成しをすること。(その中には、様々な犠牲を捧げる事が含まれていました。)

ですから、各部族、各家族は 祭司に従う必要がありました。

▷ もう1つ の役割りは、律法の教育でした。

申命記 33:10 をご参照下さい。)



そのように、民に律法を教えることは、モーセの時代から始まっていた事でしたが、

様々な経緯はあるものの、基本的には 祭司が教える立場にありました。

そして、律法を教えることには、読み聞かせる事と、説明を付して 意味を悟らせることが含まれていたということです。

(歴代 (下) 17:7—9 をご参照ください。) 


申命記 1章 から、
そうした、民を教育するための組織体系が、そのような早い段階で、ヤハウェによって
設けられていた ということが分かります。


つまり、ヤハウェは、人々が み旨を理解できるように 律法を与え、そして、その意味を悟ることが出来るよう、代表者を用いて、導いておられたことが理解出来たと思います。




それでは、
イエス・キリストはどうだったのでしょうか。

聖書から見ていきましょう。


ルカによる福音書 24章 27節

「 ····こう言って、モーセやすべての預言者から はじめて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。」


これは、イエスが処刑され 亡くなり、そして イエスか復活した後の、ある弟子たちとの やり取りです。


ここを見ると、
エス は、モーセ やすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身について記されている、預言の意味を弟子たちに説き明かされた ことが分かります。



その後、しばらく 弟子たちと共に行動を共にされると、


31・32 節です。

「 彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった。すると、み姿が見えなくなった。

彼らは 互いに言った、『 道々 お話しになったとき、また聖書を説き明かしてくださったとき、お互いの心が内に燃えたではないか。』」


初めは、それがイエスであることに気付かなかった 弟子たちでしたが、共に道を歩きながら、聖書を説き明かしてくれている、

それを、聞いているうちに、

二人は、それが、イエスであることを 確信しました。


エスは亡くなられる前は、いつも、弟子たちにそのように、教えておられたからです。


その後 再びイエスは弟子たちの前に姿を現されました。


その時の、イエスの話された内容です。

44・45 節

「 ···彼らに対して言われた、『 わたしが以前 あなたがたと一緒にいた時分に話して聞かせた言葉は、こうであった。すなわち、モーセの律法と預言者詩篇とに、わたしについて書いてあることは、必ずことごとく成就する。』
そこで イエスは、聖書を悟らせるために 彼らの心を開いて····」


ここで、「 彼らの心を開いて」
と ありますが、

これは、インスピレーションを与えて どうの、と言う意味ではなく、説き明かした、ということです。


では、次に、イエスの昇天後 です。

使徒行伝 8 章 27―39節の記述を見ていきますと。


時は、西暦34年頃。
ピリポという弟子 と エチオピア人の女王の高官(宦官)とのエピソードが書かれてあります。


この ピリポ というのは、前回も説明したように、使徒たちが任命した、7人の中の1人 です。

その エチオピアの宦官は礼拝のためエルサレムに上り、その帰途にありました。

そして、自分の馬車の中でイザヤ書を読んでいたわけです。

御霊に促されたピリポが、その馬車に近づいて、宦官に話しかけたということです。


30・31節 です。

「 そこで ピリポが 駆けて行くと、預言者イザヤの書を読んでいる その人の声が聞こえたので、『 あなたは、読んでいることが、おわかりですか』と尋ねた。
彼は、『 だれかが、手びきをしてくれなければ、どうしてわかりましょう』と答えた。
そして、馬車に乗って 一緒にすわるようにと、ピリポにすすめた。···」


宦官は自分が読んでいる、イザヤ書のその部分が、誰について言っているのかさえ、わかりませんでした。


35 節
「 そこで ピリポ は口を開き、この聖句から説き起こして、イエスのことを宣べ伝えた。」

とあります。



すこし 考えてみて下さい。

本来ならば、エルサレムには 当時のサンヘドリン( 祭司団 )が存在していたわけです。

その 祭司たちが、律法の預言書、詩編、その他 の解説をして人々に教育を施す務めが あったわけですが。

残念なことに、もう 彼らには、ヤハウェ からのインスピレーションが 与えられていませんでしたので、当然 正しい知識を教えることなど 出来ません。



ですから、この エチオピアの宦官は、せっかく ヤハウェを礼拝するために エルサレムまで来たにもかかわらず、何も教えてもらえず、帰途についていたということなんです。



これが、当時のありさま だったということです。


そして この先を読み進んでいくと。

この宦官は、ピリポの助けを得て、このあと、正式にイエス・キリストの弟子となることができました。



では、今日では どうなのでしょうか、その キーマンがパウロです。
つまり、パウロの書いた手紙がカギ だと言うことです。


では 次回、
もう一度 パウロに戻って、いよいよ 奥義に入っていきたいと思います。


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