From KSRG ✯「 神の言葉 [聖書] は とこしえに残る 」−(39)

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⬜ では 早速、ヨハネの黙示録 11章 8節 の考察をしていきたいと思います。

 

 

新改訳聖書 2017年版によると、

 

「 彼らの死体は大きな都の大通りにさらされる。····」

とあります。

 

 

まず、ここで言っている  大きな都 とは何の事 なのでしょうか。

 

この  大きな都  と言うのは、大いなるバビロン(大バビロン)が支配している 世 を表しています。

要するに  全世界  と言う事です。

 

そして さらに、“大通りに” と言うワードからも、世界中で と言うことが読み取れます。

 

 

 実際に、イエス・キリストも、この節の後半に書かれてあるように、

この悪魔の世、もっと具体的に言うと、当時のユダヤの体制で支配していたサンヘドリン、その支配下にあった当時の ユダヤの世で、十字架に掛けられました。

( 実際に死刑を執行したのはローマ人でしたが、十字架に掛けられた場所は、エルサレムの周辺に位置していたゴルゴダの丘でした。)

 

そして、次が 興味深いのですが。

新改訳聖書 2017年版の表現を使うならば、

 

「 その都は、 霊的な理解では ソドムやエジプトと呼ばれ ····」  とあります。

 

これは、どのような意味でしょうか。

 

“ ソドム”  と言うワードが預言的な描写 として使われる場合、罪深さ  や  汚れ を 象徴しています。

 

 

では、エジプト は、何を意味するのでしょうか。

 

聖書の中では、エジプトは、最初の世界強国として描かれています。

その事も知識として、押さえて置かれるとよいのですが、

 

“ エジプト ” と言うワードが、預言的 描写 として 使われる場合は、

悪魔の世 全体 を表します。

 

それが、どのような支配形態であろうが、

悪魔の世 全体 を表すときにエジプト と言う表現を使います。

 

つまり、二人の証人は、ソドムのように 汚れ、また 罪深い、

“エジプト” で表されているような、悪魔の世 全体の中で、

しかも “ 大通り” ですから、誰もが、分かるような仕方でさらされた と言う意味です。

 

 

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* ここから 少し  “エジプト” と言う観点から考えてみたいと思います。

 

 

私たちは 現在、ローマ人への手紙 13章にあるように、この世の権威、

日本であるならば、日本国憲法の下で、法律を遵守しなければ なりません。

それは 至極 当然の事です。

 

その中で、政府や 地方自治体が提供する、公共的なサービスを利用する事も出来ます。

 

 

その為にも、税金を納めてもいるのです。

聖書に書かれてある通りです。

 

 

また、その他にも この世(企業やその他)が提供している、色々なツールや サービスなども利用する事は出来るでしょう。

 

 

しかし、次の点は忘れてはなりません。

 

イエス・キリストは、マルコによる福音書 12章 17節 でこのように言われました。

                      ⇩

 

12章 17節 (新改訳聖書2017年版)

カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。」

 

エスは ここで 何を教えていたのでしょうか。

 

 

カエサル ”とは、当時の政治権力者のことです。

 

つまり、カエサルに返す と言うのは、市民として そこで生活している以上、その国の法律を守り、政治権力者の要求には従う責任があると言うこと事です。

 

 

しかし、

人は 同時に “神に返す”

つまり、神に対する責任があります。

 

 

命を頂いて、

ヤハウェを 愛し、崇拝する私たちは、 神ヤハウェにお返しする事を第一にすると言う責任があります。

 

ですから、イエス・キリストの この言葉には、

もし仮に、カエサルの命令と、神の命令との どちらか一方を選択しなければならないと言う事態が生じた 時には、

ヤハウェに従うべきであると言う重要な真理が込められていた訳です。

 

 

ただ、誤解の無いように、もう少し お話 しますが、

勿論、先ほどから悪魔の世とは言っていますが、この世が提供するものを 何一つ利用しては いけないと言うわけでは無いのです。

 

 

ヤハウェの義の基準に反しない限り、利用できるものは利用すればよいのですが。

 

 

ただ、ヤハウェ抜きで、つまり、ヤハウェのご意思、み旨を蔑ろにし、無視してまでも、この世を利用しようとするなら、と言うこと事です。

そのような者に対して、ヤハウェはどのように見て居られるのか、と言う事です。

 

 

イザヤ書 30章 1− 11節には次のように書かれてあります。

(※ これは、象徴的なエジプト、つまり この悪魔の世にだけに頼ろうとする者たちについて述べているものです。)
                           ⇩
新改訳聖書2017年版
[  わざわいだ、頑な(かたくな)な子ら。
 __ 主のことば __
彼らは はかりごとをめぐらすが、わたしによらず、同盟を結ぶが、わたしの霊によらず、罪に罪を増し加えるばかりだ。
彼らはエジプトに下って行こうとするが、わたしの指示を仰がない。
ファラオの保護のもとに身を避け、エジプトの陰に隠れようとする。
しかし、ファラオの保護に頼ることはあなたがたの恥となり、エジプトの陰に身を隠すことは恥辱となる。
その首長たちがツォアンにいても、その使者たちがハネスに着いても、彼らはみな辱められる。
自分たちにとって役に立たない民のゆえに。
その民は彼らの助けとならず、役にも立たない。かえって恥となり、そしりの的となる。
ネゲブの獣についての宣告。
「 苦難と苦悩の地を通り、雌獅子や雄獅子、まむしや、飛び回る燃える蛇のいるところを通り、彼らはその財宝をろばの背に載せ、宝物をらくだのこぶに載せて、役にも立たない民のところに運ぶ。  エジプトの助けは空しく、当てにならない。  たから、わたしはこれを『何もしないラハブ』と呼ぶ。」
「 今、行って、彼らの前でこれを板に書き、書物にこれを記し、後の日のために永遠の証しとせよ。
彼らは反逆の民、嘘つきの子ら、主のおしえを聞こうとしない子らだから。
彼らは予見者に『見るな』と言い、先見者にはこう言う。 
『 われわれについて正しいことを幻で見るな。 われわれに心地よいことを語り、だましごとを預言せよ。  道から外れ、道筋からそれ、われわれの前から    イスラエルの聖なる方を消せ。』」  ]
 
( ※  この部分は各自 祈りのうちに黙想なさって頂ければ と思います。)

 

今回は、ヨハネの黙示録11章 8節 の考察で、

少々 飛躍しましたが 

“ エジプト” から考えてみました。

 エジプト  については、今後の 解説 の中にも出てきますので、押さえておいて頂けたらと思います。

(   エジプト  ⇨   悪魔の世 、または、悪魔の世 全体  )

 

では、次回から、9・10 節を考察して行きたいと思います。

 9・10節は 奥義 です。

 

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