From KSRG ✰「神の言葉 [聖書]は とこしえに残る」(2)

《 神の言葉 [聖書]はとこしえに残る 》(2)
[聖書を理解する上での 補足情報]


■ 先回の話の中では、高次元にも、聖書が存在する ということについて お伝えしたと思います。

それで 今回は、その点の詳しい考察に入っていく前に、

まず、聖書を理解する上での、補足情報を お伝え出来ればと 思います。


⬜ アダムの反逆 以降、
ヤハウェは、義人と言える者たちに、 伝承 という形で、 様々な事を (巻き物に)記録させていったわけです。


これらの伝承と、一般的に世の中で残されている 神話と呼ばれているものの明確な違いは 何でしょうか?

決定的な違いは···

世の中によくある神話というものは、得てして尾ひれが付いたり、物語として興味を引き 盛り上げるために 付け加えられたり、また 都合の悪い部分は削除されたりと···、
あるいは 伝言ゲーム状態になってしまうわけです。

しかし、ヤハウェ が ご自分の僕たちに書かせた 伝承は、ヤハウェの霊によって、しっかりと守られて いたわけです。

.....


⬜今から 約 3600年 ほど前、
ヤハウェは、イスラエル国民と最初の契約を結ばれました。その契約の仲介者は モーセ です。

その時に モーセが筆記した “モーセ 五書” と言われているもの、これが イスラエル国民の聖書



つまり これが ‘’最初 の 聖書‘’ となりました。


そして····、


ヨシュア記 1章 8節 を見ると分かりますが

モーセ の 死後(紀元前1470年頃)、
ヤハウェヨシュア に( 先ほどの最初の聖書である モーセ五書について )

「 この律法の書を あなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく 守って 行なわなければならない。」


と言われました。


では、ヨシュアの 死後、聖書は追加されていったのでしょうか。



詩篇 第一巻 1 篇1 節 からの部分を見ていくと、(口語訳)
(筆者:ダビデ
(紀元前1080年頃)


ダビデ王は「 主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う···。」
と、述べています。


この「 おきて 」とは、
モーセ五書 のことです。


と 言うことは、


ダビデの時代まで、


ヨシュア記 から ダビデの時代ま
での記録は、まだ 正式には 聖書として、認められてはいなかったということです。



その後····、
イスラエル は、2つの王国に分裂してしまいました。


北のイスラエル王国
南のユダ王国です。




それで、聖書はどうなってしまったのでしょうか。



実は、ヨシヤ(ユダ王国のヨシヤ王)の時代まで、巻き物は紛失していました。

つまり なくなっていたと言うことです。



歴代志(下)34章14節 には、このように書かれてあります。


「 さて 彼らが主の宮にはいった 金を取りだした時、祭司ヒルキヤは モーセの伝えた 主の律法の書を発見した。」


····と言うことは、

ここから言える事として、ヨシヤの時代(紀元前650年頃)まで、聖書は まだ モーセ五書 だけだったということです。



さらに 歴代志上(上)29章29節を見ると、次のように書かれてあります。


ダビデ王 の 始終の行為は、先見者サムエルの書、預言者ナタンの書 および 先見者ガドの書 にしるされている。」


ここを見ると、サムエルの書、ナタンの書、ガドの書、とありますね。


実際に聖書の中には サムエルの書 つまり サムエル記 はありますが、
ナタンの書、ガドの書、と言うものはありません。
これらは、後に 歴代志、列王記 としてまとめられました。


つまり、これらの書は、ダビデの死後(紀元前1040年頃)もまだ 聖典として聖書に加えられていなかった ということになります。


そして さらに、
歴代志(下)9章29節 には
「 ソロモンのそのほかの始終の行為は、預言者ナタンの書と、シロびと アヒヤの預言と、先見者イド が、ネバテの子 ヤラベアムについて述べた黙示 のなかに、しるされている····。」


これらの書は、聖書の中に〇〇書としては ありませんが、このようなものが、記録としては 存在していた事が分かります。
(紀元前997年頃)

それで 繰り返しになりますが、
旧約時代の聖書は、あくまでも モーセ五書だけ だったと言うことです。



そして···、
預言者 マラキの書 が書き終えられたのが、紀元前 450年頃と言われています。


では、モーセ五書を含めた、今の 旧約聖書と呼ばれている 聖典は いつ、正式に 聖書 つまり、聖典として 認められたのでしょうか。


これも 諸説 ありますが、西暦一世紀 頃までには、正式に聖典旧約聖書)として、認められるようになっていた と言われています。


〚 補足情報∶1947年以降、死海の北西にあるクムラン洞窟などで 発見された、写本970点 以上は旧約聖書 以外の つまり、聖書の関連文書ではありますが、聖典として 認められてはいない 写本が 多数発見されています。
旧約聖書聖典はあくまでも39巻のみと言えます。〛

( ※ ちなみに、外典 は 今だに 聖典とは、認められていません。

と言うことは、外典は必要ではないと言うことです。 

もし、それらが 我々人類にとって必要な情報であるならば、ヤハウェは それらも、聖書の中にまとめるよう導かれた事でしょう。)



では です、

そうなってくると、一世紀 当時の イエス・キリストのお弟子さんたちに とっての 聖書は何だったのか、と言うことです。


それは、旧約聖書として 知られている 39巻 の書 です。

それが、一世紀当時のイエスのお弟子さんたちの聖書でした。


そうなると···、
では 新約聖書は····??
と なりますよね。

そのことについては、
続きは 次回 お伝えしたいと思います。

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