From KSRG ✰「神の言葉 [ 聖書 ] はとこしえに残る」(1)

■ 聖書 は 約1600年 の期間をかけて、約40人 以上の様々な境遇の人々が筆記者として用いられ、今から 約2000年 ほど前に 完成した といわれています。


では、 聖書は もう 完成しているので、今後、これ以上 追加されることはないのでしょうか?


今回は、この シリーズを通して、この質問に対する答えを 考えて行きたいと思います。

....

その前に まず、高次元においては、聖書のような、文書(巻き物)は 存在しないのでしょうか。


それを 知る 手掛かりが、ダニエル書 7 章10節 にあります。

「 彼の前から、ひと筋 の火の流れが出てきた。
彼に仕える者は千々、彼の前に はべる者は万々、審判を行う者はその席に着き、かずかずの 書き物が開かれた。」


特に後半に、
「 ···かずかず の 書き物が開かれた。」 とあるように、

ある 書物 が出てきます。
しかも、その書物というのは、 1つ や 2つ では ないことも分かります。


そして、同じ部分の新改訳には、「··· さばきが始まりいくつかの文書が開かれた。」

共同訳では、「··· 裁き主は席に着き 巻き物が繰り広げられた。」

と なっています。


ここで言っている、書き物 とか、文書、巻き物 という これが 実は、聖書のことなんです。


つまり、高次元においても 聖書は存在するということなんです。


イザヤ書 40章 7 · 8 節 には 次のように書かれてあります。

「 主の息が その上に吹けば、草は枯れ、花はしぼむ。
たしかに人は草だ。
草は枯れ、花はしぼむ。
しかし、われわれの神の言葉はとこしえに変わることはない。」

つまり、神の言葉 [聖書]は永遠に 変わることなく、永遠に存続し 残る と言うことですが、


この預言をイザヤ が 書き記したのは、紀元前 740 年頃 であると言われています。


ただ ···、
実際には、この言葉だけだと 色んな意味にとれるわけなんです。


では、この言葉が預言として残されたのは なぜでしょうか。

実は、これらは、一世紀 当時のキリストの お弟子 さんたちに、重要なメッセージを伝えるため だけ に書き記されたのではありません。


なぜかと言いますと···。

キリストの教えが 衰退し始めて、
当時の ‘’荒らす憎むべき者‘’ が、聖なる場所に立つ、その 約2年 ほど前に、ペテロは、ペテロの第一の手紙 1章 3 ―25節で、

先ほどの イザヤ書の部分を引用して このように 説明しているんです。

今回は、この部分(ペテロ(1)1−25)の説明は 省きますが、ペテロは先ほどのイザヤ書の言葉を、これ程の長い言葉で説明したわけです。


そして この部分は、一世紀の人々に対するメッセージと言うよりも、
終末に生きる我々に対するメッセージと考える方が妥当です。


ただ、当時のイエスの弟子たちの中で、どれほどの人が、このペテロの説明を理解していたかは 分かりませんが、


では···、

皆さま、どうでしょう、
この ペテロの手紙 のこの部分 これを 一度 読まれただけで 理解できる方が どれだけおられるでしょうか···。


これは一例にすぎませんが

聖書というものは、実は、この部分 一つだけ取って考えて見ても、まだまだ説明が必要 だということなんです。


おそらく、これは 多くの、読者の方々も共感されることと思います。


聖書は、深い 神の知恵や お考えが、記されている 非常に価値のある書物であることは分かっているつもりでも、
ただ その聖書を読んでも十分に理解出来ないことに、もどかしさを感じるとおっしゃる方は 決して少なくないと思います。


····実は、聖書は 旧約 と新約聖書だけで 完結、というものではないんです。

( ※ 冒頭で紹介した、ダニエル書の言葉からもある程度読み取ることができます。)

次回からそのことについて さらに深堀り解説していきたいと思います。


✽ このシリーズは、現時点で、14万4千人 として 仮選別されている方々にとって、特に重要 かつ 希望に満ちた内容、さらに奥義です。
それで、できるだけ早く 次の記事(2)を更新したいと考えておりますので 楽しみにして頂ければと思います。


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