From KSRG ✰「神の言葉 [聖書]は とこしえに残る」(3)

《神の言葉[聖書]はとこしえに残る》(3)
[聖書を理解する上での補足情報]


⬜ 先回までの内容では
旧約聖書時代においては、 神の僕たちが 書き記した 書物(現在の旧約聖書)の中で、ヤハウェから正式に 聖典として 認定されていたものは、主に モーセ五書だけであった、と言うことについてお伝えすることができました。



でも、だからと言って、
例えば、イザヤ書エレミヤ書エゼキエル書、ダニエル書 、等々について、まだ正式に聖典として認定されていなかった、 と言うだけで、当時の神の僕たちが それらの書について、またその内容について 全く知らなかったのかと言うと、そういう事ではありません。


たとえば、
新バビロニア帝国によって、捕虜として連れて行かれた ユダヤ人たちは、
イザヤ書 45章からの部分で預言されている、キュロス王(口語訳では クロス王)が バビロンを壊滅させる と言うことは、知っていたと思います。


また、ダニエル書 9章2節 にはこのような 一文 が 書かれてあります。(筆者:ダニエル)

「 すなわち その治世の 第一年に、われ ダニエルは 主が預言者エレミヤに臨んで告げられたその言葉により、エルサレムの荒廃の終るまでに経ねばならぬ年の数は七十年であることを、文書によって悟った。」


····このダニエル自身の言葉から、
ダニエルは 何かしらの方法で エレミヤ書を入手していたということが分かります。


また、 実際にユダヤ人たちが バビロンから解放され、故国に帰還した時のことですが 、ヤハウェ預言者ハガイ と ゼカリヤ を用いられたことが分かります。

エズラ記 5:1 には次のように書かれてあります。)

「 さて 預言者ハガイ および イドの子 ゼカリヤ のふたりの預言者は、ユダとエルサレムにいるユダヤ人に向かって、彼らの上にいますイスラエルの神の名によって預言した。」


でも、これらの預言者の書いた預言は、ヤハウェの霊感によって記されたとはいえ、

その当時、正式に聖典として認定されていたわけではありませんでした。



また、 これも補足情報ですが。
ヤハウェアブラハムと結んだ契約、さらに イスラエル国民との間で結んだ契約により、可能ならば、肉的なイスラエル、つまり ユダヤ人の中から14万4千人を集めたいと思っていたわけです。

少なくとも、紀元前 600年頃までは そうでした。


しかし、預言者エレミヤを通して書かれた、
エレミヤ書 31章 31− 33節 を見ていくと 分かることですが···。
    
   ⇩

「 主 は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家 とユダの家とに 新しい契約 を立てる日が来る。
この契約 はわたしが 彼らの 先祖を その手をとって エジプトの地から導き出した日に 立てたようなものではない。
わたしは 彼らの夫であったのだが、彼らはそのわたしの契約を破ったと主は言われる。
しかし、それらの日の後にわたしが イスラエルの家に立てる 契約 はこれである。すなわち わたしは、わたしの律法を 彼らのうちに置き、その心 にしるす。
わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる と主は言われる。」


ここからも 分かると思いますが、

ヤハウェ
もうこの頃には、肉のユダヤ人だけで、14万4千人を集めることは 無理だと言う事をご存知 だったと思われます。

なぜなら この時点で、新しい契約 のことが書かれてあるからです。


····と 言うことは、
当初からの予定を変更された と言うことです。( この事に関する詳しい経緯は、以前にも説明してありますので、今回は省きます。)



では、
この 旧約聖書(マラキ書までの部分)が、正式に聖典として 認定されていったのは、いつのことなんでしょうか。

つまり、ただ 単に ユダヤの伝承 としてではなく、正式に聖典として認定されるようになったのはいつのことなのかということです。

そのことに関しては、諸説ありますがこれは、前回でも述べましたように、
一世紀になる頃には、聖典として、ユダヤ教の中に まとめられていた事は間違いないということです。


例えば
ルカによる福音書 3章を見ていくと分かる事ですが。

3章 1.2 節
「 皇帝テベリオ在位の第十五年、ポンテオ・ピラトユダヤの総督、ヘロデ が ガリラヤの領主、その兄弟ピリポがイツリヤ・テラコニテ地方の領主、ルサニヤがアビレネの領主、」

そして、4節を見ると、
バプテストのヨハネが、悔い改めの象徴としてのバプテスマを、このときに始めたと言うことなんですが。


4節 で、
「 それは、預言者イザヤの言葉の書に 書いてあるとおりである····。」 と、

これは、イザヤ書 40:3 からのことを言っているわけですが


先ほどの、 ルカ 3:1 の
皇帝テベリオ在位の 第十五年····。

これは、
西暦29年頃ということです。

そして、その頃です。

ルカによる福音書 3章15節を見ると、

「 民衆は救い主を待ち望んでいたので、みな 心の中でヨハネのことを、もしかしたらこの人がそれではなかろうかと考えていた。」

と書かれてあります。
 

ユダヤ人たちは、当時、
ダニエル書 9章 24節 からの預言から メシアが来る(現れる)時期についての年代計算が出来ていたということです。

ですから、メシアが現れるであろう、西暦29年頃、民衆は救い主を待ち望んでいたので、もしかしたらこのひとが、救い主、キリストと ではなかろうかと ヨハネについて考えた ということです。



ただ これは 余談ですが、多くのキリスト教は、この ダニエル書の 部分を、今後 起きようとしている 7年間の患難時代の事であると 解釈していますが、それは 大きな間違いです。
ダニエル書 9章 は一世紀に成就しました。


ここまでで、
旧約聖書のマラキ書までの部分に関しては、一世紀になる頃には 正式に聖典として まとめられていた事について、

そして、当然のことですが、
正式に聖典として まとめられるようになるまでにも、当時の神の僕の中には、いくつかの書について知っていた者もいた、ということについて お話することができました。


では 次回 から、
まず、イエス・キリストの実例、そして、一世紀の キリストの弟子たちが、霊感によって 書き記した 文書は、どのようにして 当時の 14万4千人 級を 励まし、そして正式に聖書として認定されていったのか、そのことについて 考察していきたいと思います。

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