From KSRG ✰「神の言葉[聖書]は とこしえに残る」(5)

《神の言葉[聖書]は とこしえに残る》(5)
[聖書を理解する上での補足情報]



⬜ 今回は イエスの弟子たちから、いくつかの実例を見ていきたいと思います。


まず、使徒パウロについて ですが、

使徒パウロは、イエス・キリストの死後に 使徒 として任命された弟子でした。

そして、使徒パウロと言えば、

旧約聖書 を 完全に解釈しており、後に 使徒ヨハネに 啓示された 黙示録の内容も 完全解釈していたということは、これまでにお伝えしてきたとおりです。

パウロヨハネが黙示録を啓示される以前に それと 同じ内容の預言を啓示されていました。)

《 ※ また、ここで言っている完全解釈 というのは、完全な人間が機能させることが出来る100%の脳で、という意味ではなく、
あくまでも 不完全な人間の脳の稼働領域内ではありますが、
旧約聖書全巻 ならびに イエス・キリストの語られた事柄、さらには 黙示録の内容 などについて、すべて解釈 出来ていたという意味です。
もちろん、ヤハウェの助けがあってのことですが、パウロは 他のキリストの弟子たちの 誰よりも理解していたと言えます。》



そのように 聖書の知識や経験の点でも、また、人格面でも優れた人物だったパウロでしたが、


ただ、イエス・キリストはご自分の後継者として、使徒パウロを任命したわけではありません。


イエス・キリストの 後継者として ヤハウェ が 選ばれたのは、 ペテロでした。


····使徒行伝 4章13節を見ると、
ペテロについて、人々は「 無学な ただの人」であると言っていました。


そのことからも 分かりますが、ペテロは 初めは 旧約聖書を十分に理解、解釈 出来ていたわけではありませんでした。
でも、ヤハウェに 用いていただくにつれて 霊的に成長していったことは 間違いありません。


そのことは、この シリーズの最初に述べたように、


イザヤ書 40章 6― 8節 の預言を自分の手紙( ペテロの第一の手紙 第一章 )の中で、
具体的に( 14万4千人に対する 重要なメッセージとして 分析し ペテロなりの表現で )当時の イエスの弟子たちに対して 出来るだけ分かりやすく 解説していることからも理解できます。



それで 今回は、もう少し その ペテロの、 別の事例 からも 考えてみたいと思います。


使徒行伝 の 2章を見ると

五旬節の日、
ペテロは、聖霊によって 仮選別された 当時のイエスの弟子たちの事 について、次のように述べていることが記述されています(2:14〜)
  
  ⇩

使徒 2 章 14― 21節

[ そこで、ペテロが十一人の者と共に立ち上がり、声をあげて人々に語りかけた。
ユダヤの人たち、ならびにエルサレムに住む すべてのかたがた、どうか、この事を知っていただきたい。
わたしの言うことに耳を傾けていただきたい。
今は朝の九時であるから、この人たちは、あなたがたが思っているように、酒に酔っているのではない。
そうではなく、これは預言者ヨエルが預言していたことに外ならないのである。すなわち、
『 神が こう仰せになる。
終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたの むすこ 娘は 預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。
その時には、わたしの男女の僕たちにも わたしの霊を注ごう。そして彼らも預言をするであろう。
また、上では、天に奇跡を見せ、下では、地にしるしを、すなわち、血と火と立ちこめる煙とを、見せるであろう。
主の大いなる輝かしい日が来る前に、日はやみに 月は血に変わるであろう。
そのとき、主のみ名を呼び求める者は、みな救われるであろう。‥』」](口語訳)



このとき ペテロは、いくつかの
旧約聖書の聖句を関連させて、複数 の 論点について述べていたのですが、


今回は、その中でも、特に、
ヨエル書に関連している部分にスポットを当てて 考えてみたいと思います。


まず ペテロはここで
ヨエル書 2章 28―32節の 預言を、当時の出来事に当てはめたわけです。


( もう少し 厳密に言うと、
このヨエル書の聖句の 一部分を 聖霊による証印として、仮選別された人たちに当てはめました。)


それで 今回 特に注目したい 点として···、


使徒行伝 2章 19・20 節 の 部分では、ペテロは このように述べています。
   ⇩

「 また、上では、天に奇跡を見せ、下では、地にしるしを、
すなわち、血と火と立ちこめる煙とを、見せるであろう。
主の大いなる輝かしい日が来る前に、日はやみに 月は血に変わるであろう。」(口語訳)


この 19・20節 の 部分 は
一世紀には成就していないんですね 。

それでも、ペテロは これが当時 成就したんだ と 述べているんです···??


これは どういうことでしょうか?


ここから読み取る必要があることとして、


まず、
この ヨエル書 の 2章の28―32節です···  
    ⇩

「 その後 わたしは わが霊を すべての肉なる者に注ぐ。
あなたがたの むすこ、娘は 預言をし、あなたがたの老人たちは夢を見、あなたがたの若者たちは幻を見る。
その日 わたしはまた わが霊を しもべ、はしために注ぐ。

わたしはまた、天と地とにしるしを示す。すなわち 血と、火と、煙の柱とがあるであろう。主の 大いなる恐るべき日が来る前に、日は暗く、月は血に変わる。
すべて主の名を呼ぶ者は救われる。それは主が言われたように、シオンの山とエルサレムとに、のがれる者があるからである。その残った者のうちに、主のお召しになる者がある。」


この部分、

これは、特に 今の この終末の期間からハルマゲドンに至るまでに、
別の仕方で 成就することを、示唆していた、と言う事です。



※ この機会に聖書の預言に関する まめ知識 です。
    ⇩

聖書の預言というものは、一つの預言でも成就は一つ とは限らないんです。

あるものは 一度の成就のものもありますし、あるものは 二重に成就するものもあります。

また、一つの預言の中には いく通りもの成就の仕方があるというものもあります。

つまり、神のみ言葉 聖書というのは それだけ奥深いと言う事です。


ですから、
例えば 一つの 旧約聖書の 預言でも、その預言に関しては、一世紀に このような形で成就したので この預言は もう終わり という そんな単純なものではないと 言う事です。



それで、今回のヨエル書の 預言に関しては、ペテロは、この預言が その時に成就したと 言っているわけですが、


先ほども 述べたように、この預言は、ある部分は成就して、ある部分、とくに 後半の30節から32節の部分は
その当時には 成就していないということになります。


繰り返しますが、神のみ言葉 聖書はそれだけ 奥深い と言うことです。


それで····、
今回の ヨエル書の預言には、 どのような 意味があるのでしょうか、少しまとめてみますと、


ペテロが述べたように、当時は確かに ヨエル書のこの預言が、目に見える奇跡という形で 成就したわけです。(使徒行伝 2:14)


たとえば、実際に 聖霊が与えられたのを 多くの人々が 目にすることが出来ました。

使徒行伝の2章を見ると分かりますが、その他にも 多くの人々の目の前で あり得ないような奇跡が起きたわけです。


補足情報:なぜこの時に、このような奇跡が起きたのか。
    

ユダヤ人は 国民全体として、イエスのことをキリストと認めず、その結果 国民としては、もはや ヤハウェの選民国ではなくなりました。(マタイによる福音書 27:25 参照)

それで、ユダヤ人で 個人としてヤハウェとの新しい契約に入れる期間は あと 3年半 しか残されていませんでした。
(ダニエル書 9章27節 参照)
この点についての詳細は、本日のバイブルメッセージにて説明いたします。


····話を戻します。


なぜ、ここで、このような奇跡が起きたのかと言うことでしたが


ヤハウェは、その時点で、もはや ユダヤ国民を用いていない、
あくまでも ヤハウェが認め、用いているのは イエスの弟子たちであるという、そのことを 明確にするためでした。


ただ、このときに聖霊が与えらたからといって、それ以降 イエスの弟子たちすべてが、いつでも 奇跡を おこなえたのかと言うと、そういうわけではありません。


使徒行伝 全体 を読まれると分かりますが、その後に 奇跡を行なえたのは、使徒たちの中でも おもだった者、しかも 数えるほど しか奇跡は行なわれていません。


····では、もう少し 分析していきましょう。


今回、ペテロは、ヨエル書の 2章28―32節 のこの部分を、どのように、解釈し、説明を加え、さらに 将来の我々にどのようなメッセージを残したのでしょうか。


まず、ヨエル書のこの部分が
顕著な形で 成就するのは、今のこの終末の期間から、大きな苦難、そしてハルマゲドン の時です。



現在、聖霊による証印を押されている者たちは、今は 目に見える 形ではないかも知れませんが、感覚的には 自分は聖霊による証印が押されている ということが分かると思います。
そして、そのことは 今後 ますます はっきりとしてくることでしょう。


でも、
ペテロが、この ヨエル書 2章28.29 節 だけではなく、32節まで、引用して、成就していると 述べているのは なぜでしょうか。




一つは、聖霊にそのように 指示されたからです。
ヨハネによる福音書 14章26節参照)



もう一つは、
ヨエル書のこの部分は、当時は、一部分しか成就していませんでしたが、成就していない部分を示すことにより、

一世紀だけではなく、将来に もっと 大規模、かつ 顕著な形で 成就するということを、示唆していたわけです。


さらに、ペテロは ヨエル書の中で言及されている、”霊“ これが 聖霊のことを指していることを、明らかにしました。


そして、今回の キーワード、


それは、“預言“ です。


旧約聖書 時代には、ヤハウェイスラエル、及び ユダ王国に対して、預言者を任命し、行くべき道すじをまっすぐ 進むよう 導かれました。


確かに 旧約聖書を見ると、将来について書かれた預言が数多くあります。


ですから、“預言者“ と聞くと、予見者 とか、予知者 と言った、そのようなイメージが強いかもしれません


そして 事実、一世紀 当時のユダヤ人たちも、預言者 というのは、神に用いられた、特別な人々というふうに 考えていました。


しかし、本来は、預言者というのは、ヤハウェから 言葉を預かり 人々に伝える、ヤハウェの代弁者のことです。


それで ペテロは、ヨエル書を引用し、その時 そこにいた 聖霊による証印を押されている者 全員を 預言者 だ と 言ったわけなんです。


実際、預言者だと 宣言された 彼らは、その後、何を行なっていったでしょうか。


メッセンジャー、です。


その当時に 最も 効果的と言える方法で、メッセンジャーを行なっていったんです。


つまり、ペテロは 預言をするとは、どういうことなのかを はっきりさせたわけです。



でも、ここで、ペテロが聖霊に導かれて、語った事は、この時には、まだ 聖書には含まれていません。


この時から 約22年後に、使徒パウロは、コリント第一 14:3
で、「預言」を次のように定義しています。
   

『 しかし、預言をする者は、人に語って その徳を高め、彼を励まし、慰めるのである。』


預言するということは、
語る事柄で、人の徳を高め、励まし、慰める こと だと述べています。

そして、繰り返しになりますが、

預言をするということは、ヤハウェの代弁者として、メッセージを発するということですから、


パウロが 述べているように、まず、語らなければ 始まらないと言うことです。
それも、今日 最も 効果的な方法によってです。

そして、聞く人が ヤハウェから喜ばれる者になれるよう、徳を高めてあげるんです。


さらに、励まし、力づけ、勇気づけてあげなければならないんです。


··· 加えて、どのように、慰めることが出来るでしょうか。


将来の報いや、希望にスポットをあてることに よってです。


これらの事を行なう上で、
You Tubeチャンネル From KSRG及びMotoaki Channel様の説明欄、説明書き動画を参考にして下さったらと思います。

これまで メッセンジャーをして来られた皆様へ。
今はかつてない程の時代です。ヤハウェの代弁者として、預言をする(メッセンジャーとして活動する)ことは たぐい稀なる特権です。
このような機会は二度と無いでしょう。


これは、ある少女の語った言葉です。
聖書からの引用では ありませんが、12歳という若さで 亡くなるまで、自分に残された期間を、ある価値ある目的の為に費やし、継続して努力された少女の言葉です。

「 どんな 小さな事でも、行なわないより、良いことは行なった方がよい。 」


今回は ここまでにしたいと思います。


(※ お知らせ と お詫び )

只今 投稿中の「神の言葉[聖書]はとこしえに残る」のシリーズは、もう少し続きます····が、
諸事情により、次回のブログの更新までには、通常よりもお時間を頂くかと思います。

また、電話連絡に関しては、まことに申し訳ありませんが、現在、電話応対が出来ない状態にありますので、ご了承いただきますよう、よろしくお願い いたします。

当ブログを いつも 熱心に読んで下さっている 読者の皆様には、私共も、励みと力を頂いておりますことも お伝えしたいと思います。

状況が整い次第、続きの内容を投稿させて頂きたいと思いますので、引き続きお読み下さるようお願いします。

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