From KSRG ✰「番外編」《 ヨハネの黙示録 11章 13節 の考察 》(4)

◆[ 前回までの内容 ]◆

ヨハネの黙示録 11∶13を解読するためには、イザヤ 6∶8 −13の預言と照らし合わせて考察する必要がある、と言うことで、イザヤ書の考察に入りました。

メッセンジャーは、イザヤ書 6:8 でイザヤが示した その精神 のように、出来る範囲では あっても 徹底的に 証をしてゆくわけですが、
それを聞く人々の多くは、益々 心が かたくなになっていく、と言うところまで 解説できたと思います。


■ では、早速 今回も イザヤ書の続きの考察に入って行きたいと思います。

イザヤ書 6章11節 を見ると、

イザヤは 預言的な意味合いも含めて、

「 主よ、いつまでですか 」とヤハウェ に 尋ねているわけです。


そこで ヤハウェは 次のように答えられます。

「 町々は荒れすたれて、住む者もなく、 家には人かげもなく、国は全く荒れ地となり、
人々は 主によって遠くへ移され、 荒れはてた所が国の中に多くなる時まで、こうなっている。」(口語訳)


新改訳 の この部分( 12節 最後の部分 )は、
「 この地に 見捨てられた場所が増えるまで。」


新共同訳 では
「 国の中央にすら 見捨てられたところが多くなる。」
と訳されています。


そして 問題の 13節 です。

「 そこには、なお 十分の一 が残るが、それさえも 焼き払われる。
しかし、切り倒された テレビンや樫(かし)の木のように、それらの間に切り株が残る。この切り株こそ、聖なる裔(すえ)。」

これらの部分は どのように解釈すればよいのでしょうか。


事実、14万4千人の 天的希望者ないし、地的希望者の ある者たちは、ハルマゲドンの直前まで、改心の機会を与えていくわけです。

そして、

ヨハネの黙示録 の 19章の 終わりの部分を見ると分かりますが、

大きな苦難を (何かしらの仕方で)生き残った 選別されて いない人たち が いるわけです。


そのように考えると、

イザヤ書 6:11 のこの部分は、ヤハウェ に 選別されているか、いないか、という目線で 考察しなければならない、ということです。

この部分をそのような視点から 考察していくならば


まず 大バビロンが完全に崩壊し、
そして、大きな苦難に突入、その 大きな苦難の最終であるハルマゲドンに近づけば 近づくほど、
多くの人たちが 選別から外れると言う意味で、

「 町々は 荒れすたれて、住む者もなく、家には人かげもなく、国は全く荒れ地となり…。」

新改訳の表現では、

「 この地に見捨てられた場所が増えるまで。」 ということです。

と言うことは、

12節に書かれてある
「 人々は主によって遠くへ移され 」 そして、
13節の「 十分の一 」 つまり 「 切り株 」 として、表されている人たち と言うのは、

すべての選別者 たちのことを表していると言えます。


そして もう一つ、

例えば 新改訳の表現を使うならば、12節の後半に、
「この地に見捨てられた場所が増えるまで。」
と訳されています。

‘’ この地 が、完全に見捨てられた場所になるまで ‘’
とは 訳されていないんです。


ハルマゲドンが近づけば近づくほど、選別から外れて、ヤハウェ から見捨てられた人々が増えてくるでしょう、

でも、もう一度繰り返しますが、‘’ この地が、完全に見捨てられた場所となるまで ‘’ とは 書かれてないんです。

あくまでも、「 この地に 見捨てられた場所が 増えるまで 」
なんです。


と言うことは、
人々が、改心するかどうかは、ハルマゲドンの 数十秒前 まで分からない、

つまり、ぎりぎり まで 改心する機会は残されていると いうことです。


それでは、次回から、

この •「 十分の一 の切り株 」に関して、また
•「 主によって遠くへ移された人々 」とは どういう意味なのか

さらに ヨハネの黙示録 11:13のその地震
・「 7千人が 死に 」・「 生き残った人々は、驚き恐れて、天の神に 栄光を 帰した 」

と言う、この部分の考察を 出来たらと思います。

今回は以上です。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−