From KSRG ✰ 「番外編」《ヨハネの黙示録 11章13節 の考察》(3)

■ 先回までの解説では、ヨハネの黙示録 11章13節の 「 この時、大地震が起こって 」と言うところまで、考えることができました。


では 今回、早速 続く部分の考察をしていきたいと思います。


「 都の 十分の一 は 倒れ 」  

この部分ですが、


地震と言っても、 ‘’ 都の十分の一 ‘’ 程度の被害なのか と思われるかも知れませんね、

都がどのくらいの大きさなのか にもよりますし、そして、その都の 十分の一と言うことですから…。 

でも、それは 文字通りの地震として 考えた場合です。

先回 考えたように ここで述べている 大地震は何を表していたでしょうか。

大バビロンの崩壊です。

しかし、その 大地震(大バビロン崩壊)で 都の十分の一 の 被害 という点も スケールが小さ過ぎますし、 矛盾しているように思えます。


使徒ヨハネは、自分の見た 幻をそのまま文字にしたわけで、恐らく ヨハネ自身 これを書いた当時、完全にその幻の意味を悟っていたわけではないかも知れません。それほど 難解な預言だという事です。〉

実は この部分は、旧約聖書のある預言と照らし合わせて 考察しないと 解読出来ないようになっています。

それは、どこの預言なんでしょうか。

イザヤ書 6章8節 からの部分には 次のような預言が書かれてあります。 

イザヤ書 6章 8―13節 です。

※(ここでは、8―12節を口語訳、 そして 13節 だけは新改訳聖書を使います。)


まず 8節を見ると、ヤハウェ

「わたしはだれをつかわそうか。だれがわれわれのために行くだろうか」と 問いかけています。

それに対し。

「その時わたしは言った、『ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください』」

これは まさしく、全てのメッセンジャーの思いです。

そして 事実、メッセンジャーは大きな苦難のその時まで、
( 14万4千人 の ある者たちは 大バビロンの崩壊の直前 )自発的に自分たちの使命を果たしてきました。


さらに、大きな苦難に入ってからも、改心の機会を与える という仕方で 徹底的に使命を果たしてゆくことでしょう。


しかし、それを聞く 多くの人たちの反応が イザヤ書 6章 9・10 節 に このように 書かれてあります。

『 あなたがたはくりかえし聞くがよい、しかし悟ってはならない。あなたがたはくりかえし見るがよい、しかしわかってはならない 』···
あなた はこの民の心を鈍くし、その耳を聞こえにくくし、その目を閉ざしなさい····


この部分を読まれて、 違和感を感じるかもしれませんが、

ここは どういう意味なんでしょうか。

つまり、意味を悟らせないように、悔い改めないように、ヤハウェがそれらの人の心をそのようにさせるのではなく、

それらの人々は、
伝えられれば、伝えられるほど、益々 心が かたくなになっていくことを 言い表しているんです。

では、次回から、続く 11∼13節

イザヤ書 6章11−12節(口語訳)「 そこで、わたしは言った、『主よ、いつまでですか。』

主は言われた、『町々は荒れすたれて、住む者もなく、家には人かげもなく、国は全く荒れ地となり、人々は主によって遠くへ移され、荒れはてた所が国の中に多くなる時まで、こうなっている。

13節(新改訳)
そこには、なお 十分の一 が残るが、それさえも焼き払われる。しかし、切り倒されたテレビンや樫(かし)の木のように、それらの間に切り株が残る。この切り株こそ、聖なる裔(すえ)。』」

この部分を解説していきたいと思います。


その部分の考察を読まれると、先ほど言っていた、少し理解の難しかった、ヨハネの黙示録 11章13節の 意味が理解でき、得心できると思います。

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