From KSRG ✰「 聖書を正しく解釈する方法、また その注意点 (3)」

 
今回は、
前回(2)でも触れましたが、

昨今において 聖書を解釈している 宗教団体、聖書学者、またその他です、
非常に多くの人々、また団体、組織の方々が聖書を解釈しています。

ただ 残念なのは、宗教団体、カトリックプロテスタント諸教会、正教会、あるいは キリスト系新興宗教団体、そして 聖書学者、あるいはその他の人たちによって 解釈の仕方が様々で、

例えば 同じプロテスタント諸教派であったとしても 統一した解釈の仕方をしておりません。

なぜそのような状態になっているのでしょうか?

その答えは 簡単です。

イエス・キリストの教えは…
一世紀が終わる頃に、 いったん悪魔に乗っ取られたからです。

聖書の中を見ると、例えば…

ヨハネの第一の手紙 5章19節
で、

「 …… 全世界は悪しき者の配下
にあることを、知っている。」
  
 とあります、またさらに

 ヨハネの黙示録 12章9節には
 
「 この巨大な龍、すなわち
  悪魔とか、サタンとか呼
ばれ、全世界を惑わす年
を経たへびは、地に投げ
落され、その使いたちも、
もともに投げ落された。」
              
このように書かれています。

 そして、
 コリント人への第二の手紙
  4 章 4 節には

「 ……この世の神(悪魔 サタ
  ン)が不信の者たちの思い
 をくらませて、神のかたち
 であるキリストの栄光の福音
の輝きを、見えなくして
   いるのでる。 」
 
 このようにも書かれて
        あります。

 これらの聖句を簡単にまとめ
  てみますと、
 
[ 悪魔サタンが この世の神
となり、全世界を支配し、
惑わし、不信の者の思いを
くらませて、キリストの栄光
 の福音の輝きを 見えなくし 
  ている ]

  と言うことなんです。

ですから答えは聖書から得る
 ことが出来ますが、
 
イエス・キリストの教えは、1世紀が終わる頃に いったん悪魔に乗っ取られたと言うのがその答えです。
 
では、実際にその 一世紀当時は
どうだったのかと言いますと、

一世紀当時、イエス・キリスト の直の弟子たち、つまり、使徒
たちと呼ばれる 特別な教え手がいたにもかかわらず、キリストの教えは悪魔に乗っ取られた
んです。

使徒と呼ばれていた者たちがいなくなった頃になると、悪魔によって完全に毒されてしまったということです。
(その経緯については以前に From KSRG のYou Tube動画でお話しています。)

そのことを考えると どうでしょうか、1世紀でさえそのような毒された状態になってしまったわけです。
 
なのに、今日 そのような 一世紀のものまねをしていたところで、ヤハウェ は そのような崇拝を喜ばれるでしょうか?

確かに、一世紀当時に 色々
 な取り決めは ありました。
 
 例えば、 洗礼(バプテスマ

一世紀当時には、バプテスマの真の意義を理解した上で 儀式としての形のバプテスマも行っていました。

でも 今 行っているバプテスマのほとんどは 形だけです。

また
 教会に集まり会うこと、
  つまり 集会です。

一世紀当時は集まり会うという
ことの真の意義と、また実際に
ある場所に信者たちが集まりあ
っていたと言うのも事実です。

でも 今の諸教会では、集会と
言う型が重要視され、集まっています。

 集会と言う“型‘’に
なんの意味があるでしょうか。
 
そして、 もしそのような形で
集まりあわなければ 救われないというのであれば、

そこに行きたくても行くことの出来ない事情のある信者はどうなるのでしょうか。

例えば、身体などの障害により 施設に入居しているような人はどうでしょうか。

あるいは、実際に お金が無くて集会に行けない人はどうなんでしょうか、ヤハウェはそのような弱者 や貧しい者たちのことは救いの対象とせずに、切り捨てられるような神なのでしょか。

これは 一例ですが、聖書には
 このような言葉があります。
  
箴言 19章17節 新共同訳には

「 弱者を憐れむ人は主に貸す人
  その行いは必ず報いらる。」

そして口語訳では、こう訳され
 ています。

「 貧しい者をあわれむ者は主に   
 貸すのだ、その施しは主が償
 われる。」

ヤハウェは、弱者や貧しい者に
対してどのようにあるべきか
はっきり示しておられます。

ということは、

そうした不利な立場の人が出席できないような、
つまり、ある程度生活力のある人、またある程度身体も自由の利く人しか参加できないような

そんな 形だけの集会に集まりあって満足するのではなく、
本来の集会の意義を悟り、ようするに 読み取り、 実践しなければならない ということ です。

( これらの聖書的根拠については、また後日 出来るだけ詳しく
解説したいと思います。)

From KSRGはこれまでにも、You Tubeで現在のキリスト教の実態を暴いてきました。

でも このシリーズでは、改めて  より明確に、また You Tube 上では伝え切れなかった新しい情報も加えて お伝え出来ればと考えております。

今日 ヤハウェは、どこかの宗教団体(法人化されている)を用いているのではありません。

イエス・キリスト
ヨハネによる福音書 6章44節
で次のように言っています。

「 わたしをつかわされた父が
  引きよせて下さらなければ、
だれもわたしに来ることはで
  きない。わたしは、その人々
  を終わりの日によみがえらせ  
  るであろう。」
 
ここを見ると、
まず、天の父 ヤハウェに引き寄せられた人でなければならない
ということ です。

そして、
エスは次のように言っていま す「 わたしは、その人々を… 」

( これは集合体としてではく、
あくまでも 個々の人々
   ということです。)

そして、
終わりの日(終末の期間に)
 よみがえらせるであろう。

これは 物理的にという意味ではなく 霊的にという意味です。

ようするに、終末の期間に 霊的によみがえらせると言っているんです。

では、次回から
聖書を正しく解釈する上で、
ここだけは 押さえて置いて頂きたいと言える聖句を幾つか、体系的に列挙していきます。

そして
それらの聖句に基づいて 皆様が
最終的に、

そもそも 聖書を正しく解釈している宗教団体やその他 … が まずあるのかどうかを判断して頂きたいと思います。

しばらく このテーマで聖書から
掘り下げて考えて行き、
そして その後、「 聖書を正しく解釈する方法とその注意点 」という 本論に戻りたいと思います。