From KSRG ✰〈 聖書の疑問に対する答え 〉❷「 アダムが最初に使っていた言語は何ですか? この問いに対する答えは、今の我々にどのような教訓を与えるものとなりますか?」−No.2

〈聖書の疑問に対する答え〉❷

「 アダムが最初に使っていた言語は何ですか?この問いに対する答えは、今の我々にどのような教訓を与えるものとなりますか? 」···· No.2



■ 前回の話の内容では、
人類が最初に使っていた言葉が、バベルの塔 建設 阻止 によって、約70 ほどの言語に散らされた事。

また、
ペレグの時代に(ペレグは ヤハウェの崇拝者としての正統の家系である、セム族であった。)

セムの家系の正統な子孫でありながら、もう この時には、ヤハウェを崇拝していなかった、ということも お話したと思います。



では、アダムからの系図、及び、創世記に記述されているような、様々な詳細な記録、また 伝承などは、どうなっていたのでしょうか ?



そして、信仰の父 アブラハムは、アダムから 20代目 と言われています。


ということは、アブラハムまでは、ヤハウェを崇拝するものが誰もいなかった と言うことなのでしょうか。

それまでの間は、正統 継承者はいなかったのでしょうか。


これらのことに対する解答は後の回で詳しく行ないたいと思います。


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ヨシュア記 24章 2・3節の 前半を見ると、このように書かれてあります。

「 ···イスラエルの神、主は、こう仰せられる、『 あなたがたの先祖たち、すなわちアブラハムの父、ナホルの父テラは、昔、ユフラテ川の向こうに住み、みな、他の神々に仕えていたが、わたしは、あなたがたの先祖
アブラハムを、川の向こうから連れ出して、カナンの全地を導き通り、その子孫を増した。····』」


まず、ここから 分かる事として、アブラハムの父、テラ の代 までは、

「 ···· みな、他の神々に仕えていたが ····」

と書かれていることから、
みな、ヤハウェを崇拝していなかったということです。


そして さらに、
創世記 12章 を見ていきますと
  
 創 12:1 ― 4
「 時に主は アブラム(アブラハム)に言われた、『 あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたたの名を大きくしよう。
あなたは祝福の基となるであろう。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、あなたによって祝福される』。
アブラムは 主が言われたようにいで立った。
ロトも彼と共に行った。
アブラムはハランを出たとき七十五歳であった。」
 

このように書かれてあります。


ここで、
ヤハウェアブラハム接触されたことが記述されています。

アブラハムが 75歳 の時であったようです。


これは 紀元前 1943年 頃の出来事です。


そして、このことも 補足情報ですが、

実は、アブラハムのそれまでの75年間 のことについては、創世記には何も記述されていません。


また、当時は偶像礼拝がとても盛んだったようで、

太陽の神、月の神、また、自然界の動物を神に見立てた偶像を作り、それらを 崇拝の対象としていました。

先ほどのヨシュア記24章にも言及されていたように、
アブラハム(アブラム)の父 テラ も、そのような神々を崇拝していたようです。



では、アブラハムは、どのようにして、ヤハウェを知るようになったのでしょうか。



その キーマンとなるのは
‘’セム‘’です。
(ノアの三人の息子の中の一人である、セム


そこで、セム について もう少し考えていきたいと思います。



創世記 9章 26節 を見ると、

セムの神、主 はほむべきかな····」
とあります。


もちろん この部分、
ヘブライ語 写本の この ‘’ 主 ‘’ と言う箇所には、ヤハウェ の名が 記されています。

つまり ここは、「 セムの神、ヤハウェが 褒め称えられるように···」
と言う意味です。



セムは かなり長く生き、 紀元前 1878年頃に 亡くなったと言われています。


それで、セムアブラハムの生涯は、約150年間、重なっていたことになります。



そして、
創世記の 14章 18節 を見ると、サレムの王、メルキゼデクと言う人物が出てきますが、このメルキゼデクに関して、聖書は詳細を明らかにしていません。


ただ、
ユダヤの伝承によると、このメルキゼデク こそが セム だったのではないか と言われています。
(※ ユダヤでは、メルキゼデクはセムであるとされています。)

そのように 結論付けるには それなりの根拠もあり、
メルキゼデクは、ヤハウェに個人的に仕えていた、王なる祭司であったと言うことも その理由の一つです。

ただし、この 伝承による説、信憑性は どうかと言うと、はっきりとした事は言えません。
かと言って全く否定もできませんので
もしかしたら、そうかも知れないとだけ、ここでは述べておきます。



今回は、メルキゼデクについて言及しましたが、


この メルキゼデク と言う人物は聖書の重要な ひな型 に関係してくる、役割り、立ち位置にある、特別な人物です。(このことは、No.3 の 回で詳しく扱います。)



少し、
ここまでの 流れを 整理してみたいと思います。
     ⇩

アブラハムセムの生涯は 約150年程 重なっていた、と言うことでした。


それで、
アブラハムセム によって、教育を受けたと考えられます。



アブラハムセムから、
アダムからの系図、口伝、伝承をすべて、十分に受け継いだと言うことです。


もう
それ以上は 何かを教えてもらう為にセムに会う必要は ありません。

ですから、ヤハウェアブラハム接触した、75歳の時には、アブラハムにはその用意が出来ていた、と言うことです。


そして、アブラハムが 75歳を過ぎてから 一度、メルキゼデクが、アブラハムを祝福するためにアブラハムを訪問しています。

(ちなみに、この時にアブラハムに会いに来たメルキゼデクなる人物がセムではないとすると、それ以外でアブラハムセム接触する機会が無かったと考えられます。)

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これは、信憑性の高い 伝承になりますが、
アダムからの系図、そして、様々な詳細な記録などを書き記した文献、あるいは、口伝などをすべて アブラハムに伝えたのは、セムであったと言われています。


つまり、セムの子孫は、ペレグの時代には ヤハウェから離れてしまいましたが、

セム自身は、個人的にヤハウェに仕え、秘かに伝承を守っていたということです。


そして、
セムアブラハムが75歳になるまでに、アブラハムヤハウェ預言者となるよう しっかりと教育していたことがわかります。


このことと調和する点として、 ‘’ 預言者 ‘’ と言う言葉は、創世記20章 7節 で、初めて アブラハムのことを指して出てきます。


そして、ここまで お話してきたことから 分かることとして、
セムが、正統に伝承を引き継いでいたのであれば、アダムが最初に使っていた言語も古代ヘブライ語であったと言えます。


ちなみに、
アブラハムは、後に父親のテラも、ヤハウェの崇拝者となるように導きました。


では 次回、これらの事から 何が学べるのか、教訓を幾つか考えていきたいと思います。

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